「ラスト・デイト」

エリック・ドルフィー

「LAST DATE」

LIMELIGHT/ユニバーサル・ミュージック  1964




「僕のCDラックから」などというつまらないタイトルをつけて、つまらないアルバム紹介文を落書きするようになって、約4年経つ。

とり挙げた音盤は、どれも「永遠の愛聴盤」の位置づけを僕の中で与えられたものばかりであり、基本的な訂正の必要は今も感じない。
が、部分的には、「今とは違うな」という部分もある。
たとえば、「アート・ペッパー・ミーツ・ザ・リズム・セクション」の稿で、僕は「いちばんすきなサックス・プレイヤーはアート・ペッパーとジョニー・グリフィン」と書いたくだりがそれに当たる。
無論、ペッパーやグリフィンを嫌いになったと意味ではない。両者は、今でも僕の中の最高のフェイヴァリット・ミュージシャンズの一員として重要な位置を占める。
それから、「ゲッツ/ジルベルト」の稿に登場するスタン・ゲッツも、50年代のルーストでのレコーディングを中心に、「何を買っても外さない」才人として一目も二目も置き続けている人だ。
他にも、ソニー・ロリンズだってコルトレーンだってウェイン・ショーターだって、もちろんフェイヴァリッツだ。

しかし、「いちばんすきなサックス奏者は?」と言われたら、いや、「いちばんすきなジャズ・ミュージシャンは?」と問われても、今の僕なら躊躇せずに、エリック・ドルフィーと答える。


僕がよく使うフレーズに、「“楽しい”と“おもしろい”は違う。綺麗でもキャッチーでもない音楽でも“おもしろい”ことは往々にしてある」というものがある。これなど、まさにドルフィーの音楽について語りはじめるにふさわしい箴言ではないかと勝手に考えている。

ジャズに限らず、音楽全般−アート全般と置き換えたほうが適切かもしれない−には、一度触れただけでスンナリと入り理解できるものと、最初は何かひっかかり、つっかかり、しかし、進んでゆくうちに「ああ、そうだったのか」と視野が開けるタイプのものがある。両タイプは、どちらがいいとかどちらが深遠だということではなく、両方があるからこそ飽きないのだと言える。
その後者の代表の一つがジャズで言うならドルフィーではないかと思うのだ。モンクやオーネットがそうであるように。

流麗とは言いがたい、下品なたとえを許してもらえるなら、ときにはオナラのように聞こえるドルフィーのサックス、そしてバスクラリネット、フルート。
ドルフィーのソロは、「快刀乱麻を断つ」雰囲気ではないし、もちろん、「流麗」でも「リリカル」でもない。なのにどうしてこんなに自分は惹かれるのだろう、と何度考えてもハッキリ答えを出せないところが、また、ドルフィーの音楽のおもしろさである。

しいて答えの可能性を見つけようとするなら、「予定調和なおもしろさ」とまずは言えるのではなかろうか。
「このアドリブソロはこういう方向性にまとまっていくはずだ」という、聴き手自身が意識しない予定調和な方向というのは、たしかにある。そして、それを何の苦もなくいかにも自然に紡ぎ出してしまえるパーカーやロリンズは本当に恐ろしいまでの天才の持ち主だ。
だが、まったく先が読めないまま、不安になりながらつきあっているうちに、大気圏の向こうまで連れて行かれそうな錯覚を起こすドルフィーのメロディー感覚は、何より音楽を聴く新鮮な驚きを与えてくれる。
とどのつまり、アート受容の醍醐味とはそこにあると思うし、そんな醍醐味を凝縮したアーチストがこのドルフィーではないかというのが、僕の最近の評価だ。


僕は、たしかに他人にジャズを薦め、ウンチクを垂れて悦に入るのが好きな俗人だが、僕でもドルフィーの音楽を最初に初心者に薦めようとはあまり思わない。そんなときは、それこそ前掲のペッパーあたりを薦めることにする。
僕がドルフィーを人に紹介するとしたら、「ちょっとオシャレな気分でジャズでも聴いてみたい」人にではなく、現代音楽的な感覚で音楽に「異次元的・非日常的サプライズ」を求める人にである。



それをふまえて、しいて、ドルフィーの音盤から「まずこの一枚」を選ぶとしたら何だろう。と考えたのだが、正直、意外と決定的答えは見つけられなかった。
ドルフィーは、リー・モーガンやウェイン・ショーターと違い、「当たり外れ」の差の実は非常に少ないミュージシャンだと思う。また、非常にマイペースな人なので、ミンガスやアンドリュー・ヒルといった他人主導のセッションのアルバムでも、ドルフィーの演奏そのものは確実に楽しめる。
だから、正直に言ってしまえば、「最初は必ずこのアルバムから!」などという定形の入り口はない。


だが、数ある選択肢の中から、比較的オーソドックスなフォーマットでなおかつドルフィーの個性が最大限に出ていて、しかもわりあいとっつきやすいアルバムという方向であえて選ぶとしたら、何だろうか。

おそらく、「アット・ザ・ファイブ・スポット」のライブ盤2枚、とくに1のほうを挙げるのが衆目の一致した見解だろう。
僕もそう思う。50年代的ハード・バップの安定したフレームワークに、ドルフィーと夭折の才子ブッカー・リトルのプレイが乗り、全体的水準の高さでこれをしのぐドルフィー盤はない、と思う。
また、「アウト・トゥ・ランチ」を挙げる人もとても多いことだろう。
引きしまったサウンド設計の上で展開されるドルフィーのやや前衛的なソロとフレディ・ハバードの若々しい本寸法のプレイは、カッコイイことこの上ない。


しかし、ここでは(遺作ではあるが)、もう一つの有名盤「ラスト・デイト」のほうを挙げることにする。
理由は単純で、ドルフィーの数少ない単管カルテット−すなわち、ホーン1人+ピアノ、ベース、ドラムスのリズム・セクション−で、しかも前二者に劣らない高い内容のアルバムだからだ。
モダン・ジャズの基本は、2管クインテットのほうだと思うが、特定のホーン・プレイヤーの音色に親しむためにも、またその力量を測るためにも、単管編成のこちらのほうをむしろ推したい。

ドルフィーはスタンダード・ナンバー型とは言えないタイプのジャズマンで、「ラスト・デイト」もオリジナル曲が中心だが、曲はともかく、ドルフィーの演奏は、文句なしにすごい。
と言ってしまうとそれっきりだが、持ち前の「予測不能」でうねるように跳ね回るセンスが全開の、まさにワンマン・ショーで、なかんずく、バスクラリネットを使った2曲が聴きものである。

「ラスト・デイト」はドルフィーが単身渡欧したときのライブ盤なので、ドルフィー以外のメンバーは現地調達のリズム・セクションだが、中でもピアノのミッシャ・メンゲルベルクは注目していい。
個人的なこととなるが、「横浜ジャズプロムナード2003」に行ったときも、何より印象に残ったのは、不整脈のような摩訶不思議なリズム感覚を持つこの人のプレイ黒川鍵司いわく、「初めてピアノに向かったように、白紙の紙に向かうように弾いていた」)だった。


そして、全6曲をドルフィーが歌い終わった後、アルバムはあのドルフィーの有名な遺言をフィーチュアして突然の終わりを告げるのである。・・・



When you hear music,after it's over,
it's gone in the air.
You can never capture it again.     --Eric Dolphy



                                 (2003年11月9日)

 

「僕のCDラックから」

 

「小林孝博の独断音楽論」

 

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