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| 「チョン・ミョンフンの新しいポストに期待する」 國土潤一 |
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チョン・ミョンフンが、フランス国立放送フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督に5月から就任するという発表がなされた。これは彼のファンにとっては福音と言っても良いだろう。チョンはこの2月にフランス国立放送局の第一オーケストラであるフランス国立管弦楽団を率いて来日公演を行なったばかりだが、チョンのザールブリュッケン放送交響楽団時代や、バスティーユ・オペラ時代の演奏を知る者にとっては、彼の音楽性の徹底という点において、その演奏は多くの望むべきものを残していた。 チョンの音楽作りの最大の魅力はどこにあるのだろう。ある人は、そのダイナミックな音楽の思い切りの良さに心ひかれるだろう。またある人は、東洋的な緻密さ、繊細さを指摘するだろう。この両者ともに彼の魅力であるのは間違いあるまい。しかしそれらの表象的な現象よりも筆者がチョンの音楽性にひかれるのは、むしろ音楽の「下ごしらえ」にあるのだ。 あらゆる演奏家は、当然のこととして楽譜を読む。しかし、その読み方が問題なのだ。楽譜に書かれた音符を、単なる物理的な音の組み合わせとしてとらえるか、それともその中に情緒的なものを読み取るかによって、音楽のあり方は違ってくる。チョンの姿勢が後者であるのは、ここで改めて述べるまでもないだろう。チョンの素晴らしさは、その読み取った情緒的なもの、心理的なものを音化するにあたっての入念さにある。「音楽はすべてポリフォニー(多声音楽)だ」と言ったのはグスタフ・マーラーだが、チョンの音楽作りは、結果的にこのマーラーの言葉を現実化したものとなっている。オーケストラのあらゆるパート、あらゆるフレーズに、チョンは入念な表情を与えて行く。しかもそのフレーズの曲線の描き方は、ひとつひとつが全く別の太さ、色彩を持っているのだ。その多種多様な異なるフレーズが、有機的にからまり合い、巨大な音楽生命体とも呼ぶべき全体像を作り上げて行く。チョンの音楽性が入念で多彩でありつつ、目一杯に振り切ったものとなっているのは、ここに由来する。この複雑多彩なフレーズのからまり合いを支えているのは、何よりもチョンの驚異的な耳の良さと、超一流のピアニストとして体得したアーティキュレーションの感覚であるに違いない。演奏という「運動行為」を、自然なコンビネーションにするための緩急の構成なしには、この複雑な音楽作りを具現することはできないのだ。 この厳しい「音楽作りの理想」あるいは「音楽作りの王道」とも呼ぶべき道を、チョンは選んだ。多くの困難を伴う「茨の道」を、チョンは自らに課す。しかし、これをオーケストラで実現するには、彼の意図を十全に理解する音楽センスと、彼の要求に応える事のできる音楽表現を持っている必要がある。彼がインターナショナルなキャリアをスタートした、ザールブリュッケン放送交響楽団や、彼が世界的な名声を獲得する際の手兵となったバスティーユ・オペラのオーケストラは、まさにこのチョンの薫陶によってその力を蓄え、チョンの音楽を、最も雄弁に表現したオーケストラとなった。厳格で忍耐強い(この忍耐は、指揮者とオーケストラの双方に求められる)練習の積み重ねを通じて、指揮者は自らの音楽的意志をオーケストラに浸透させ、オーケストラはその実力を向上させて行く。この指揮者とオーケストラの理想的関係を、チョンは、彼がシェフを努めたこの2つのオーケストラで実現していたのだ。 ザールブリュッケン時代の様々の名演(特にモーツァルトのピアノ協奏曲の第23番の弾き振りの超弩級の名演は忘れ難い)や、バスティーユ時代の伝説的名演の数々(ソウルへの引っ越し公演でのR・シュトラウスの《サロメ》は、この曲の認識をすっかり変更させられるような美しさを湛えていた)は、思い出しただけでも、心がふるえるような体験であった。ここまで練り上げられた時、チョンの生み出す音楽は、塵埃にまみれた作品から全く別の新鮮な美しさを我々の前に引き出してみせる。しかも、その音楽は、誠実きわまりないスコア読みに支えられているのだ。オーソドックスでありながら新鮮な発見をもたらす彼の音楽作りを、バスティーユ・オペラのオーケストラ・メンバーは自ら体験した。そして、自らの実力以上の音楽的感動を生み出した。彼の罷免事件がバスティーユ・オペラで起こった時(それは、全く馬鹿げた政治劇による不当な解雇だった)、「我々のシェフを返せ」とオーケストラが垂れ幕を掲げたのは、その事の証明でもあったのではなかろうか。 バスティーユから離れ、フリーとなったチョンは、フィルハーモニア管弦楽団、ロンドン交響楽団、アジア・フィル、NHK交響楽団、新星日本交響楽団、ローマ・サンタチェチーリア国立アカデミー管弦楽団とも日本で名演を聴かせてくれた。先日はフランス国立管弦楽団とも魅力的な《幻想交響曲》を聴かせてくれた。これらのうち、ローマ・サンタチェチーリア国立アカデミー管弦楽団とアジア・フィル以外は、全て客演であり、ローマ・サンタチェチーリア国立アカデミー管弦楽団は彼がシェフになったとは言え、まだ薫陶が行き届いていなかった(このイタリアのオーケストラは、多くのイタリア的魅力を持っている一方で、技術的には十全とは言い難い点がある。しかし”意気に感ずる”能力は素晴らしい)。ザールブリュッケンやパリ・バスティーユで聴かせた入念きわまりない仕上がりを湛えた名演のためには、彼の練習が積み重ねられる、しかも実力のあるオーケストラが必要なのだ。ローマの成長を待っていた筆者であったが、フランス国立放送フィルハーモニー管弦楽団という、名匠ヤノフスキの職人芸によって鍛えられたオーケストラとチョンとの結びつきは、筆者の長い渇望を癒してくれるのではないか。チョンの音楽性の最上最美のものを具現してくれる手兵と、このフランス放送フィルがなってくれるのか?このうれしいニュースの先にあるだろう「実り」を期待し心踊らせているのは、筆者だけではないだろう。この新コンビの名演を、ディスクでも実演でも(来日公演が待たれる)一日も早く耳にできることを願ってやまない。 (こくど・じゅんいち 音楽評論) ◆國土潤一氏のプロフィール 1956年東京生まれ。東京芸術大学声楽科卒業。同大学院修士課程(独唱テノール専攻)修了。旧西ドイツ国立デトモルト音楽院(北西ドイツアカデミー)留学。声楽を伊藤亘行、川村英司、松村健太郎、故テオ・リンデンバウム、故リヒャルト・ホルムの各氏に、ドイツ語舞台発音法をハンス・クールマン氏に、ピアノを中野俊也氏に、合唱指導法を田中信昭氏に師事。 1987年に帰国後は、ドイツ・リートを中心とした演奏活動の他、指揮や「レコード芸術」誌を中心とした音楽評論を行なっている。 主たる著書に「これがオペラだ/上手な楽しみ方とその知識」「ON BOOKS/CD名曲名盤100/声楽曲(近刊)」「クラシックの20世紀(5)オペラの時代(共著)」「スタンダード・オペラ鑑賞ブック(3)ドイツ・オペラ(上)(共著)」(以上音楽之友社)。現在、武蔵野音楽大学講師。 |
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| 「魔弾の射手」テアトル・デ・シャンゼリゼ劇場 〜チョン・ミョンフンと演奏者により救われる〜 <<高水準のオーケストラ>> ※「ル・モンド」紙(エレクトロニック版)1999年12月12日より抜粋 |
| テアトル・デ・シャンゼリゼ劇場合唱団、フランス国立管弦楽団 |
| ウェーバー作曲「魔弾の射手」 アガーテ:ジル・カシュマイユ、ベント・ノールップ、 ミランダ・ヴァン・クラーリンゲン エンヒェン:サンドリーヌ・ピオー カスパール:アルバート・ドーメン マックス:ジョルマ・シルヴァストリ 隠者:ハンス・ゾーティン キリアン:アルベルト・シャギドゥリン サミエル:ハンス・クリスティアン 装置:アンソニー・ベイカー 衣装:エマニュエル・ペドゥツィ 照明:フランク・エーヴィン 演出:フランシスコ・ネグリン テアトル・デ・シャンゼリゼ劇場合唱団、フランス国立管弦楽団 指揮:チョン・ミョンフン ワーグナー、ついでリヒャルト・シュトラウスが後年発展させることになるドイツ国民的オペラの基礎を築いた「魔弾の射手」は、1821年の初演で、ロマン派意識と大衆の趣味とを真に結び付けるオペラである。内容を抜粋した序曲の素晴らしさからして、すでにすべてが言い尽くされている。森の奥から聞こえる狩人の角笛、サミュエルの呪いの世界の不安に満ちたトレモロ、マックスの絶望、狼たちの口の奥の恐ろしい深淵、フィナーレでのアガーテの愛の勝利など。しかし何も成就されない。チョン・ミョンフンは明暗と感性、劇的欲動とサスペンス、明確な表現と抑制の間で進行し、区切れ毎に見事な成果をあげて、既成の事実を暗い不確かな疑問に変形させていく。 舞台上の音楽の面については充実している。サンドリーヌ・ピオーのエンヒェンはピリッとしてヴィルトーソ、アルバート・ドーメン演じるカスパールの暗くたくましい心、キリアン役のシャギドゥリンの虚勢を張った若々しさ。オットカールを別にして、ジル・カシュマイユの息の長い声、”長老たち”の一団は良く健闘。クーノ役のベント・ノールップは少し大きめのヴィブラートだが素晴らしい。隠者のハンス・ゾーティンは圧倒的である。 高水準のオーケストラ ミランダ・ヴァン・クラーリンゲンがひどい気管支炎で苦しんでいるのは分かっていた。総稽古では声を出さなかったほどだから。だが「魔弾の射手」はやらねば!そしてこの若い歌手が日常生活と同様、舞台上でも不運な運命に対し果敢に戦っていることに感銘を受けたのだった。どこまでも広がりのある彼女のまろやかで均質な絹のようにつややかな声が、求められる通りの素晴らしさを充分聴衆に与えるところまでには至らなかったが、少なくともその見事な兆しは充分感じられた。これで満足した人達がいるだろうが、将来、さらにいっそう味わい深い楽しみがあるのではないだろうか。ジョルマ・シルヴァスティのマックスの声の美しさを称えないわけにはいかない。堂々として柔軟、ふっくらとして大らかさがある。マックスの役には、夜の王国の火の試練を受けたタミーノの稀に見る感受性がある。 合唱が非常に重視されるこのスコアで(狩人の合唱は場内を圧倒した)、コーラスは称賛に値し、国立オーケストラはウェーバー芸術の高みで真価が発揮された。 最後のすてきな場面、狩場での愛の勝利。 12月18日以降、パリ圏内では飛んで行くつがいの鳩を猟銃で撃つことを禁止。再演まで待たねばならない…来年5月、ローザンヌでの再演を! (マリー オード・ルー) 翻訳:大出 學 [1999年12月8日 テアトル・デ・シャンゼリゼ劇場] |
| チョン・ミョンフンのタクト「オテロ」のさまざまな要素を 自由に操る 〜チョン・ミョンフン、シャトレ座での最初のヴェルディ讃を征服〜 ※「ル・モンド」紙 2001-3-26 |
| フランス国立放送フィルハーモニー合唱団、同管弦楽団 |
| ヴェルディのオペラ「オテロ」、シェークスピア原作、アリゴ・ボイートのリヴレット。 ホセ・クーラ、カリタ・マッティラ、アンソニー・ミカエルス・ムーア、チェーザレ・カターニ、エンケルイェーダ・シュコーサ、フランス国立放送フィルハーモニー合唱団、フランス国立放送フィルハーモニー管弦楽団、指揮チョン・ミョンフン、空間演出ダニエル・アッバード。 シャトレ座 2001年3月26日公演。次回3月29日19時30分、4月1日16時。 70FF(10.67Euro)〜595FF(90.71Euro) ヴェルディ記念公演のオープニングは、シャトレ座のとり上げたヴェルディのシェークスピアを題材にした最後の作品のうち、ハンカチにからむ「オテロ」によってであった。 オーケストラボックスを突き破って威嚇的な序曲の激しい嵐が鳴り響くや否や、ミョンフンのタクトが、ネプチューンの標章である三つ又の鉾のように、思うがままにさまざまな要素を描き出す。そして岸壁に吊るされた鵜のように配置された合唱団がオテロの、勝利を収め帰国する船に呼びかけ、引き寄せる。唸りを上げ、猛烈な嵐を起こすオーケストラ、それをミョンフンがなだめ静める。ピンクとブルーのパステルカラーのヴェールに包まれたデズデモナの登場は、一変してチェロの四重奏によるかなしくも歓喜の世界、うっとりする愛のデュエットへの前奏となる。カリタ・マッティラのデズデモナ(この役を好きではないと言っているが)には、単に無垢な弱々しさではなく、犠牲となるヒロインにふさわしい身を捧げる者のオーラがある。声は熱く官能的で、非常に繊細な高音も今までにないほどの超俗的なものであり、それが逆説的にオテロの嫉妬に狂う狂気をうなずけるものとする。名高い「柳の歌」に、愛のノスタルジーよりも人生の哀惜が流れ、「アヴェ・マリア」の祈りの中に、魂の許し以上に救済の希望が流れ出る。そしてオーケストラは、ともに花模様となって、生きたいと願うこの声を包み、オフィーリアの顔に枝垂れかかる木のしなやかな優しさでまとわりつく。 ホセ・クーラのオテロについて言えば、岩を切り裂くような高音があり、その情熱の語り口が愛の恍惚(多少型にはまった愛の二重奏)には達していないにしても、このアルゼンチン出身のテノールの非常にドラマティックな本質が表れるのは、偉大な人間の心が苦悶しながら少しずつひび割れていく中である。クーラという歌手は声量が非常にあるというのではないが、中音域(低い声が少しくすんでいるにもかかわらず)苦痛にさいなまれる心の動きによく合っている。 ミカエルス・ムーアのイヤーゴは、どこにでも見られる人間であると同時に全能であり、激しい破壊力でこのオペラを高波のごとく押し流して行く。魔的とも言える見事なメッツァ・ヴォーチを駆使した声で、もったいぶって餌食を締めつける。 空間演出のこのやり方は、なるほどコンサート・オペラの静止状態からわれわれ観客を解放して、ア・プリオリには程よい折衷を見せている。しかしながらこれがうまく機能するのには第3幕を待つ必要がある。段々に配置されたコーラスと、オーケストラボックスすれすれに見えるオーケストラとに締め付けられたように挟まれた黒いシルエットの密室。そこで、巨大な運命が、それに操られる人形を殺すかのようにわれわれ観客の喉首をつかむ。照明は見るべきものを際立たせ、主役の歌手たちは聴くべきことを聴かせるはずだ。チェーザレ・カターニのカッシオは好男子で、若々しく情熱的で、さらにエンケルイェーダ・シュコーサのエミーリアについては、その言葉は全曲通してぎこちないものだが、大詰めは安堵させるものである。しかし、つまるところはミョンフンのオーケストラが燦然と輝き、演劇的にも舞台をさらってしまっている。 (マリー オード・ルー) 翻訳:大出 學 |
| 「ブラボー!マエストロ・チョン」〜東京の喝采 ※韓国、東亜日報 2003-7-17 |
| 「この部分の音は単純なフォルティッシモではありません。ヤアッ!!と叫ぶような音だと思って。ヤアッ!!」 7月15日午後、渋谷にある文化村オーチャードホール。東京フィルハーモニー交響楽団のスペシャルアーティスティックアドヴァイザー・チョン・ミョンフンが自身の「3番目の楽器」である東京フィルの定期演奏会のリハーサルで指揮棒を振る。曲はマーラーの交響曲第5番、第2楽章「嵐のように激しく」 楽員たちはマエストロについて「ヤアッ!!」と言ってみる。マエストロが再び棒を振り始めると、音色は全く違っていた。残忍なまでにきらめき輝きながら、作曲家の心の叫びが溢れ出して来た。 「東京フィルを始めとする日本のトップクラスのオーケストラは、技術面で見れば、ヨーロッパのトップクラスのオーケストラと遜色はありません。ただ、テクニックを越えた『熱情』とでもいうのでしょうか、強烈な表現力が不足しているのでしょう。それを引き出すのが私に与えられた課題です」 チョン・ミョンフンが東京フィルハーモニー交響楽団のスペシャルアーティスティックアドヴァイザーに迎えられたのは2001年4月である。フランス国立放送フィルハーモニー管弦楽団とローマ・サンタチェチーリア国立アカデミー管弦楽団の音楽監督として、息つくひまもないほど忙しい日々を送るマエストロを、東京フィル関係者が熱心に4度も訪れ辛抱強く説得したのである。あれから2年。日本における「チョン・ミョンフン旋風」は当初の予想をはるかに超えた。 音楽専門誌のアンケート結果によると、チョン・ミョンフンの人気は日本指揮界の自尊心・小澤征爾(前ボストン交響楽団常任指揮者、現ウィーン国立歌劇場芸術監督)を完全に上回っている。東京フィルも日本オーケストラ界の象徴であったN響を超えた、という。東フィル関係者は「マエストロ・チョンに対してはファーストクラスの待遇をしていますが、マエストロが来てくれてからは多くの企業からの協賛も相当いただいています」とうれしそうだった。 日本の経済不況が長引き、コンサートを開催するにあたっても影響が及んでいるが、チョン・ミョンフンのコンサートに関しては、毎回、早期予約販売が必須である。15日の演奏会も定期会員が早々にC,D席を買ってしまったために主催者側では「S,A席のみ販売」という告知を出さなければならなかった。 午後7時、2千席のオーチャードホールは満席となった。フランソワ・ルルーが協演するモーツァルトのオーボエ協奏曲に続き、この日のメインプログラムであるマーラーの交響曲第5番嬰ハ短調が始まると、客席は水を打ったように静まり返った。この日の演奏会は今まで持っていた「日本のオーケストラ」に対する先入観を完全に払拭するものであった。 1、2楽章の残忍な世紀末的疾風怒涛は言うに及ばず、5楽章の爽快な疾走も申し分なく、明白な重みとコントラストを持って伝わって来た。チョン・ミョンフンが、右腕を深く振り下ろしながら弧を描くように回すという特有の動作で、強烈な合奏のフォルティシモを呼び起こすたび、聴衆は腹をなぐられたかのようにぎくりとする。トランペットの爽快なコーラルによる主題と、走り抜けるような合奏で75分に及ぶ長大なシンフォニーが幕を引くやいなや、客席からは「ブラボー!」が沸き起こり、熱狂的な拍手が送られた。 「シノーポリやラトルもいいが、チョン・ミョンフンは少し違う。同じ東洋人だからだろうか?痛いところをいちいちさすってくれるような感じだ」。ある企業の役員であるという白髪の男性が、首を振りながら「来て良かった」と何度もつぶやいた。 東京フィルは、チョン・ミョンフンのスペシャルアーティスティックアドヴァイザー就任後、初めて、8月31日午後6時半「マエストロの国」である韓国のソウルにある「芸術の殿堂」で演奏をする。マーラーの交響曲第1番「巨人」とペク・ヘソン(ピアノ)との協演でブラ−ムス・ピアノ協奏曲第1番というプログラムである。3万〜12万ウォン。29日=プサン文化会館、30日=大邱・慶北大大講堂でも同様のプログラムでコンサートが開かれる。 翻訳:Kim Jung He |
Book Review マエストロ チョン・ミョンフンの「幸せの食卓」
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料理がクリエイティブな作業であるというのは異論を待たないところである。 |
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