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●トーク&サイン会にて |
| 《マエストロのコメント》 |
| ●1999年3月17日 記者会見にて 新星日本交響楽団創立30周年記念チャリティ・ガラコンサート(1999年5月22日開催) 「アジアのこどもたちへ未来を!」への出演に際して |
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●2000年2月29日 ル・モンド エレクトロニック版インタビュー抄録 |
| ●2002年12月26日 「朝鮮日報」掲載インタビューより チョン・ミョンフン 「本当の指揮は60歳から_」 |
| ●2003年5月15日(木)朝鮮日報コラム『マイ・ウェイ』より チョン・ミョンフン 『与えられた分だけ、こどもたちの教育に捧げたい』 |
| ●2007年1月2日(火)韓国日報掲載 インタビュー |
| ●2010年5月19日(水)韓国・京郷新聞掲載 記事 |
| ●韓国でマンガになった「チョン・ミョンフン物語」を一部ご紹介します。 |
| 《マエストロのコメント》 ●1999年3月17日 記者会見にて |
| 5月22日(土) 新星日本交響楽団創立30周年記念チャリティ・ガラコンサート 「アジアのこどもたちへ未来を!」 |
| “今回のチャリティ・コンサート出演理由について” 「今日、世界ではさまざまな社会的な問題が起きています。それらの問題解決に参加したり、社会的に援助したりすることは音楽家にとって重要なことだと思います。また、その面において世界のリーダー的存在になっている日本で、このようなコンサートを指揮できることは、とても意義深いと考えています。」 “こどものための音楽コンサートを開催する意義について” 「私のこれからの音楽活動において、若い人たちにクラシック音楽のすばらしさを知ってもらうことは、非常に重要な仕事のひとつだと考えています。残念ながら多くの若い人たちは、クラシック音楽はむずかしいとか、自分とはあまり関係ないものだと考えています。私は彼らがこちらに近づいてくるのを待つのではなく、音楽家として、彼らにとってクラシック音楽がもっと身近になるようにベストを尽くしたい。日本に限らず、韓国、ヨーロッパ、どこで演奏しても、このように考えていると、私は音楽をつづける勇気がわいてくるのです。 現在、クラシック音楽は世界中の人々に受け入れられていると信じています。また 、たんにクラシック音楽が最も美しいというだけではなく、少なくとも千年もの間、絶え間なく発展し続け、人類の歴史とともにその歩みを確かなものにしてきた、唯一の音楽だと認識しています。ですから、音楽の次の重要な展開が日本や韓国、中国などのアジアの若者によってなされるとすれば、私は本当に幸せです。実際それはもうすでに始まっています。そのためにもクラシック音楽をより多くの未来の世代に伝えていくことは、とても大切なことだと考えているのです。 私はいつも音楽を「自分の音楽として」演奏することが大切だと思っています。私た ちは、音楽を「われわれの音楽」として演奏しなければならないのです。そして、も うそれは、アジアでも現実となっています。日本ではものごとが非常に速い速度で変化し、うっかりすると手の届かないところまで行ってしまうかもしれない。それゆえ、われわれは「普遍の音楽」がより重要な意味を持つようになる次世紀に向けていまから準備をしていかなければならないのです。」 |
| 《マエストロのコメント》 ●ル・モンド エレクトロニック版 2000年2月29日 |
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チョン・ミョンフン 「オーケストラの存在理由は社会に占めるその位置なのです」 |
| “5月1日にフランス国立放送フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督に就任されますね。バスティーユオペラの後、またパリに戻って来られてうれしいでしょうか?” 「私は1度もパリを去ったことはありません。フランスでの生活を続けていました。バスティーユ・オペラを去った時、残念に思ったことは楽団員たちが自分たちのオーケストラの生活と本当に一体になることを手助けできなくなったことです。奇妙に思えることですが、世界各地の音楽家たちは奴隷状態なのです。いくつもの仕事を果たすことを要求され、どんな指揮者も受け入れなければなりません。持っている権利といえばストをすることだけなのです。」 “フランス放送フィルハーモニー管弦楽団はどうでしょう?” 「16年間、マレク・ヤノフスキと仕事をして、楽団員たちは、規律、うまくやろうという意志、自己批判といったことを体得しました。こうした現状はパリでは唯一のものと言えます。オーケストラは改善されるか悪化するかで、同じ状態に留まっていることは決してありません。放送フィルハーモニーは昇り坂にあり、さらなる向上のためには楽団員は私と対面しているべきではなく、私の脇や、必要とあらば私の前にいるべきだと考えます。彼らに求めるものは、学校、青少年層、大学、教育などのために全力で打ち込むことです。オーケストラの存在理由は社会の中で自分たちの場を見い出すことでもあります。」 ““優れた”オーケストラと“卓越した”オーケストラという違いがあるのでしょうか?” 「かなり不可思議なことなのですが、その違いというのは存在します。私の知る限り、世界におよそ100の優れたオーケストラがあり、そのうちの約50がアメリカにあります。オーケストラを指揮する指揮者よりも多いのです。しかし卓越したオーケストラというのは2つしかありません。ベルリンフィルとウィーンフィルです。そのどちらかのコンサートを聴くと、楽団員たちは自分たちの指揮者をその晩の招待者のように聴衆に紹介している印象を受けます。時は過ぎても創立精神は残るのですね。」 “では客演指揮者と音楽監督とでは?” 「客演指揮者は、コンサートの質を、ときに些細なことを犠牲にしても重視する必要があります。音楽監督はリハーサルのことを考え、コンサートを副次的なものにさせることのできる人でなければなりません。」 “就任されたのはどのような使命からでしょうか?” 「オーケストラを私が見い出した状態よりもさらに良い状態にするということです。これは容易ではないでしょう。音楽監督は政治家のように作り上げる力と破壊する力を持っています。私は生来ペシミスト(悲観論者)なのですが、ただ、一度何かを決意すると簡単には断念しません。これが私のところに届く招待のほとんどすべてを辞退する理由です。エージェントにとっては理解しにくいことでしょうし、断わるのに時間をとるのは当然のことですが、でも私は正しいと思っています。」 取材:アラン・ロンペック (翻訳:大出 學) |
| 《マエストロのコメント》 ●2002年12月26日付「朝鮮日報」掲載インタビュー |
| 「本当の指揮は60歳から_」 ゆく年インタビュー ローマ新コンサートホールこけら落とし公演 指揮 チョン・ミョンフン |
| 去る21日夜、ローマ「パコ・デッラ・ムジカ」アートセンター内「サンタチェチーリア」コンサートホール。チョン・ミョンフンの指揮するローマ・サンタチェチーリア国立アカデミー管弦楽団と、ピアニスト・マウリツィオ・ポリーニがベートーヴェン「コーラルファンタジー(合唱幻想曲)」を協演した。ストラヴィンスキー「春の祭典」とイタリアの3人の作曲家の初演のあったこの日、演奏会場にはカルロ・アジェグリオ・チアンピイタリア大統領、ローマ市長、大勢のイタリア文化芸術界人士が顔を見せた。ムッソリーニが地下に埋蔵された金塊、宝物を発掘するとしてローマの由緒正しいコンサートホールを破壊して以来、実に68年ぶりに完成したコンサートホールのこけら落としという「記念碑的」演奏会であった。
チョン・ミョンフンは来る2003年にいかなる抱負を抱いているであろう。「パコ・デッラ・ムジカ」アートセンターで、チョン氏に聞いた。 “新ホール開館の意義をどのようなものでしょう?” 「イタリアはオペラが産声を上げた地だけあり、オペラの伝統は強いのです。その分、相対的に見てシンフォニーオーケストラの伝統は弱いと思います。それだけに今回のホールの開館を、イタリア文化芸術界は国家的慶事とみています。このホールは私が音楽監督をしているサンタチェチーリア国立アカデミー管弦楽団の新しいホーム・グラウンドともなります。ローマは韓国の慶州のように、掘り起こせば古代の遺物が出てくるという土地なので、新しい建物をむやみに建てられません。そのために建設に多くの年月を費やしました」 “今年も暮れようとしています。音楽をなさりながらやりがいを感じることとは?” 「自分がやりたいと願い、いつどんな時も、好きだからしている、それが私にとっての音楽です。それと同時にひとを幸せにしてあげることができる仕事だという点に、やりがいを感じます。音楽を通じ、人びとが結束し平和を実現することができればそれに優るものはないと思います」 “韓国のクラシック音楽界にとっての課題は何でしょうか?” 「(一部略)私はカルロス・クライバーの『ラ・ボエーム』のリハーサルをフランスで見るためにスケジュールを一ヶ月間空けたことがあります。そしてかの地に行きましたが突然リハーサルが中止になってしまったのです。1ヶ月間がフイになってしまったわけです。それはともかく、指揮というのは劇場で巨匠の姿を見て学ぶことが大きな力となります。情熱を持った後輩たちがたくさん出て来てくれることを願っています」 “新年の抱負は何でしょうか?” 「イタリアとフランスでちょうど10年を過ごし、現在はフランス国立放送フィルハーモニー管弦楽団、ローマ・サンタチェチーリア国立アカデミー管弦楽団、東京フィルハーモニー交響楽団を指揮していますが、私の指揮者人生の出発はドイツ(ザールブリュッケン)でした。来年(2003年)から、ドレスデンオペラ劇場で「ドン・カルロ」「パルジファル」「タンホイザー」等のオペラが始まります。ワーグナーやシュトラウスはもちろんのこと、ハイドン、バッハをまた勉強し直すことになります」 “指揮者としての長期的な展望をお聞かせください。” 「指揮は60才からだと思っています。今はもっと勉強しなければならないし、レパートリーを増やさなければいけないと思いますので、あれこれやっていますが、歳をとってからは指揮の回数が減るとしても、良い演奏を目指すべきだと思います」 |
| ●2003年5月15日(木)朝鮮日報コラム『マイ・ウェイ』より |
| 『与えられた分だけ、こどもたちの教育に捧げたい』 |
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最近一部で「ローマ・サンタチェチーリアオーケストラ音楽監督を辞任した」と伝えられました。しかし、これは正確ではありません。「辞任」ではなく、任期終了後の延長再契約をしないということです。私のローマ・サンタチェチーリア国立アカデミー管弦楽団音楽監督としての任期は2005年までであり、それ以後、契約を延長する意志がないことをオーケストラ側に伝えたものです。前もって伝えておけば後任を決められますので(後任はアントニオ・パッパーノに決定している)。このような私の決定はどのようなオーケストラとどのような音楽活動をするべきか、指揮者として避けることのできない熟考と遠慮の結果です。 |
| ●2007年1月2日(火)韓国日報掲載 インタビュー |
ソウル市響芸術監督兼常任指揮者チョン・ミョンフンの2006年は輝かしいものであった。 「チョン・ミョンフンの力」によってソウル市響のコンサートには15万人の聴衆が集まり、その収入は23億ウォンであった。オーディションを行うことによりオーケストラの体質を改善し、地方公演を通じて大衆に近づいた結果だった。 チョン・ミョンフンの2007年はスタートからたいへんなものだ。1月3日のニューイヤーコンサートを皮切りに、9日にはソウル市響の新しいプロジェクト「ブラームス・スペシャル」の第1回公演、13日にはミア洞・江北第一教会での公演が行われる。昨年末12月28日夜、ソンナムアートセンターでのコンサートの直前、楽屋にてチョン氏にお目にかかった。非常にタイトなスケジュールのせいでひどい風邪をひいてしまい、リンゲル注射を打ったばかりという状態でのインタビューだったが、こと音楽に関しては、情熱的に語ってくれた。 −昨年最も記憶に残る出来事と演奏会は? 「ソウル市響とのベートーヴェンチクルスを無事に終えたこと。みんな一生懸命やってくれたので満足している。記憶に残る演奏会というのはない。われわれがなすべきこととはコンサートの行われるその現場で音楽に命を与えることで、それは聴衆の前だけで完結するもの。だから、私は録音もあまり好きではない。ただ、つねに『もう少しうまくできたはずなのに』という悔しさ、『どうしたらもっとうまくできるだろうか』という悩みがつきまとう。 −昨年10月、平壌でのユン・イサン音楽フェスティバルで指揮するはずだったが。 「出発直前、核実験の事実が明るみになり訪北がキャンセルになった。音楽と政治は別物だから行かなければ、という意見もあったが、音楽というのは互いに助け合ったり、祝ったりするためのものだから、そんな状況では行けないと思った。しかしながら、ずっと考えてきたことだし、これからもチャンスはあると思う。ベートーヴェンの第9交響曲『合唱つき』は皆、兄弟となりたがいに愛し合おうという内容。われわれが行くか、あちらが来るか、いずれにせよいつかは『合唱』を一緒に演奏したい」 −ソウル市響を最初に振った時と最近を比べてどうか。 「2005年に比べると少なくとも倍は成長したと思う。本当におどろくべき発展。50年間できなかったことを1年あまりの間になしとげてしまった。以前は韓国のオーケストラが一聴に値するものだとは耳にしたことがなかった。もちろん世界水準にはまだまだだけれど。これから伸びてゆくためには、これまで以上に大変だと思う。上に行くほどに伸び悩むのが常だから。忍耐をもってこつこつとやっていかなければ」 −就任当初からの主張だった専用ホールの問題が未解決だが。 「上を目指すオーケストラに専用コンサートホールは必須。ノドゥル島アートセンターの建設が遅れているので、ソウル市に対し、新市庁舎の中にコンサートホールを作ってほしいという提案をしたところだ。現状ではそれがもっとも良い方法だと思う。それすらだめなら、世宗文化会館の音響設備を改善する他ない。政治的な問題を理解しないわけではないが、(人が変わっても)仕事はきちんと引き継いでやってもらいたいと思っている。 −今年の「ブラームススペシャル」にキム・ソヌ(ピアノ)、キム・スビン(バイオリン)ら、若い演奏家を選んだ。 「私の仕事の一つに音楽を学ぶ人を手伝う、というものがある。もちろんすべての人というわけにはいかない。教師ならばすべての学生を教えるのだろうが、私ができるとすればソリストや若い指揮者の中でも特に才能のある人を手助けすることだろう。パリ・オペラ座バスティーユのときも1000人以上の声楽家のオーディションをしたが、その中でオーディションに受かり舞台に立ったのは10人になるだろうか、こういうことは時間がかかるものだ。しかしながら、オーディションを受けたいのならいつでも、誰でも見る用意がある」 −キム・ソヌは小学生の時、オークションに出たチョン・ミョンフンの指揮棒を落札するため、学校をさぼったことがあるとか。 「キム・ソヌがリーズコンクールで1位をとった後、何回か会った。演奏が素晴らしいのはもちろん、すべての面で18才とは思えない。私の場合、18才当時はあまりピアノの練習はしていなくて、たくさん遊んで楽しい時期を過ごしたものだ。しかし、あの時の経験が指揮をする上で役立っていると思う」 −チョン・ミョンフンが指揮する時とそうでない時、観客数と演奏水準の差が大きいという現象に対して憂慮する声があるが。 「問題だと見る人びとに対してどうこう言うことはできない。ただ、明らかなのは私がもっと振らなければならないということだ。今も努力はしているが、指揮の回数をもっと増やさなければ。(※2006年ソウル市響演奏会100回中27回指揮している)できる限り最大限の努力はするつもりだし、団員も私からできうる限り学び取ってほしい。一緒に仕事をしながら少しでも良い方向に向かうのなら満足だ。そうでなければ契約中途でもやめるしかない。契約は2008年までだが、その前にやめたり、もっと長く続けたり、どちらの可能性もある。いずれにせよ韓国のオーケストラのために始めたことなのだから」 −いつも指揮よりもピアノがいいというようなことをおっしゃっているが、2007年にはソウル市響とピアノで協演する予定とか。 「楽器を弾いている方が自然だ。指揮者は舞台の上で唯一音を出さないのだが、音を出すパートよりもはるかに複雑なことをしている。100人あまりをコントロールしなければならないし、彼ら1人ひとりの問題を解決しなければならない。そして全体の計画も立てなければならない。実のところ、こうしたことは私の性格には合わない。いや、合わないというより、むしろ嫌っていると言っても良い。指揮者の中で私ほど『倣う』のがじょうずな人もめずらいいのでは?」 −倣う、とは? 「私はキム・ソヌのような人たちとは違って、幼い頃から『指揮者になりたい』という夢や計画がなかった。周りから『指揮をやってみれば』とすすめられてその通りにした。音楽を始めたのもそんな調子だった。7人兄弟の6番目に生まれ、姉たちがすでに音楽をやっていたのを見て、それに倣った。初めての音楽的経験と言えば姉たちの伴奏だった。それで、ヴァイオリン、チェロの伴奏は大得意だ。オーケストラもリハーサルの時間が何より大事。私はただオーケストラについていくだけだと思っている」 −プライベートな時間は? 「韓国、イタリア、フランスを行ったり来たりして過ごしているが、韓国での時間が長くなって来ている。3人いる息子のうち、2人は学校を終えて末息子がいま大学生。友人らが『子どもたちが大きくなったらどうする?』『あなたは子どもが手から離れてしまえば自殺してしまう』などと言うほど、子どもたちと過ごすのが好きだった。フランスで予定より長く暮らしたのも子どもたちの学校が良かったから。ところが、いざ離れてみると、時折会うというのも良いものだと思う。妻と過ごす時間も増え2度めのハネムーンのようだ。息子たちの将来の伴侶を含めた8人のための食卓という料理の本を以前出したが、もう7つの席が埋まった。長男、次男がいつの間にか相手を見つけて来た」 −60才になったら指揮をやめる? 「人生には3つの段階がある。最初が勉強をして成長する時期だとすると2番目は家族を持ち子どもを育ててキャリアを積む段階だ。60才以降が最後の段階ということになるが、職業としてのキャリアを積むのをやめるということで、音楽をやめるということではない。自分がもらったものを返して行かなければいけないと思うが、時間があまりに足りない。音楽家は人々に音楽の美しさを伝えるメッセンジャーの役割を果たすべきだと思う。軽いノリで楽しくとか、そういうものじゃない。最近ではいろいろなものを混ぜたりしているが、私のルールでは一つの音も変えてはならない。最大の努力をしなくてはならないのだ」 |
| ●韓国でマンガになった「チョン・ミョンフン物語」を一部ご紹介します。 |
![]() 韓国の少年少女向け雑誌「センガッチェンイ(考える人)」に、「チョン・ミョンフン物語」というマンガが掲載されました。その一部をご紹介します。 マンガはチョン氏の御母堂である李元淑さんが書かれた本、「世界がお前たちの舞台だ」の中のエピソードを中心に構成されています。この本にはチョン・ミョンフンのみならずチョン・キョンファ(ヴァイオリン)、チョン・ミョンファ(チェロ)という世界的な音楽家を育てた一人の母親の信念、努力、そしてチョン家全員の勇敢で前向きで真摯な生き方が書かれており、読み終わった後には不可能と思えることにチャレンジする勇気や元気が湧いてくる一冊です。中央公論社から出ています。興味のある方はぜひ読んでみてください! |
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《マンガの内容》 |
| ●2010年5月19日 韓国・京郷新聞 文學洙記者 |
| 「29日からヨーロッパツアー ソウルフィル指揮者 チョン・ミョンフン」 「準備は整った…ヨーロッパの舞台でも堂々と」 「5年間の道のりは苦しかったが、これも、色彩のあるオーケストラをつくる過程」 |
| リハーサルを終えて芸術監督室に入ってきたチョンの表情は明るかった。18日午後、ソウルフィル芸術監督チョン・ミョンフンは、時には疲労感をにじませるときもあるが、この日は、まったくそのようなことはなかった。生き生きとした目をして彼は言った。「5年間、準備してきました。ヨーロッパでも立派に通用する演奏をする自信がありますよ」 チョン・ミョンフンとソウルフィルがいよいよヨーロッパツアーに出かける。5月29日から6月11日までイタリア、ドイツ、チェコ、ロシアの4カ国9都市で行われるツアーである。もちろん、これまでにソウルフィルが海外での演奏会を持つ機会がまったくなかたわけではない。チョン・ミョンフンが芸術監督に就任するよりもずっと前、1988年にソウルオリンピックの広報のためにヨーロッパツアーを行ったことがあり、3年前にはニューヨーク国連本部の総会において「外交使節」として演奏したこともある。しかし、今回はそれらとは違う。海外有数の音楽祭より正式に招待されてのツアーである。韓国オーケストラ史上初の出来事だ。 「去年、ベルギー・ブリュッセルで開かれたクララ音楽フェスティバルで1度演奏する機会がありました。かなり好評だったので、それが今回のツアーのきっかけになったのです。海外の演奏会を無理やりにでも作ることはできるでしょう。だとしても、それに何の意味があるでしょう?何年か前に国連で演奏したこともありましたが、そのとき、アメリカでもう何度かの演奏会をしようとすればできたでしょうね。でも、しませんでした。準備が不十分な状態では、やらない方がいい。無駄に恥をかくだけですよ。でも、いよいよ準備が整いました。少なくともヨーロッパの舞台に上げるだけの水準にはなった、ということです」 チョンは今回のツアーがソウルフィルの団員にとって、学びと刺激の場になるだろうとも付け加えた。アメリカで指揮者としての第1歩を踏み出した自分自身が、82年にヨーロッパに移ったのも、もっと学ぶためだったと語った。「音楽は経験や環境が重要なので、本場のヨーロッパに行った」ということだ。そして、ビールとワインになぞらえ、ドイツとフランスの音楽の違いを説明してくれた。 「ドイツとフランスの音楽がはっきりと違うのは、まさに、その経験と環境の差から来るのです。ビールは厚くて重いグラスになみなみとついで飲むでしょう?ドイツの音楽はそういった文化からうまれたものです。反面、フランスの音楽には微妙な香りのようなものがあります。よく味わいながら飲むワインに似ています」 「世界的オーケストラ」への第1歩とし、5年前にソウルフィル芸術監督に就任したチョン・ミョンフン。6月1日がちょうど「チョン・ミョンフン率いるソウルフィル」が公式に出帆して5年目を迎える日である。チョンは現在のソウルフィルを「アジア最上級」と評した。「最高」とせず、「最上級」と表現したのはおそらく、日本を代表するオーケストラ「NHK交響楽団」を意識した発言ではなかろうか? チョンは「カラーのあるオーケストラになることが重要」としつつ、このように語る。 「オーケストラには個性がなければならないのです。世界の音楽界においても、明確に自分のカラーを持ったオーケストラというのは多くはありません。われわれもこのような脈絡で、ソウルフィルのカラーを世界に浸透させねばならないのです。心を開いて話し合うというような、あたたかくて自然な音楽です。私たちはどちらかというとイタリアに似ていると思います。私がこれからソウルフィルに望むことは、楽しみながら演奏する音楽、堅苦しくなく、余裕のあるサウンド、といったものです」 チョンは、スカラフィルハーモニックと格別に良い関係である。本人もしばしば客演をするこのオーケストラを「友人」と呼んで、特別な愛情を披瀝する。チョンがこのオーケストラを率いて韓国の舞台に立ったのは2年前だ。そのとき聴かせてくれたサウンドを比喩的に表現するならば「上手に料理された、身の厚い魚料理」という感じだった。もちろん、スタンディングオベーションで絶賛された。韓国の聴衆はあのように、豊かで温かい音楽に心惹かれるようだ。 チョンは以前と変わらず、ヨーロッパ名門オーケストラを指揮している。「何日か前にもオランダのアムステルダム・コンセルトヘボウを指揮してから、韓国に帰って来た」という。ACOという略称で呼ばれるこのオケは、いま、ベルリンフィルより高い評価を得ることがしばしばである。常任指揮者はロシア出身の巨匠、マリス・ヤンソンス。「ACO団員とのリハーサルは常に自然体で、とても心地よいのです。彼らは音楽を心で演奏します。彼らに何か気の利いたことを言ってあげたいと思い、『君たちはみなgood musicianだね』と言ったんですね。それはただ単に実力があるという意味ではないのです」 チョンはインタビューの終わりに「正直、これまでの5年間は苦しかった」としながら「私だけではなく団員も苦しかったと思う」と言った。5年間休みなく続けられた団員オーディションに関する話だった。 「団員を毎年少しずつ変えながら今日まで来たので、お互いどれだけ苦しかったか…。ただ、少し前からだいぶメンバーチェンジは減ってきました。2年後には安定するでしょう。そうすれば(団員の交代に対する)心配なくひとつの家族として動けると思います。芸術家には生涯の保障というのはなく、毎日の演奏がオーディションなのです。そこを乗り越えていかなければ、招かれざる演奏家になってしまいます」 そこで、記者は、オーケストラを始めとする海外の芸術団体は1〜2年の試用機関が終わると、定年まで継続できるのでは?と聞かざるを得なかった。すると、チョンは「100年以上、もしくは200年程度の歴史を経てそういうシステムが出来上がったのです」と答え、「すでに高い水準にある状態において可能なシステム」と付け加えた。 ソウルフィルはツアーを目前に控えた20日、ヨーロッパでの演目を演奏する「プレビューコンサート」をソウル・アーツ・センターで披露する。メシアン「忘れられた捧げもの」、チン・ウンスク「ヴァイオリン協奏曲」、ラヴェル「マ・メール・ロア組曲」、「ラ・ヴァルス」等、彩り豊かなプログラムである。 |
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