●信念と姿勢について
●指揮者というものについて
●ジュリーニの影響について
●リハーサルについて
●アジアフィルについて
●日本での演奏活動について
●社会に対して
●ローマでやりたいこと
●将来のプランについて
●マエストロのスタンダール症候群
●サンタチェチーリア管とフランス国立放送について
●現代作品の紹介について
●宗教曲への取り組みについて
●人間の内なる力を呼び覚ます「音楽」
●後進の指導

●トーク&サイン会にて
 
〈1998年9月6日(日)午後4時〜 タワーレコード渋谷店〉
 〈1998年9月11日(金)午後7時〜 HMV渋谷店〉
 〈2002年3月4日(月)HMV渋谷店〉

《マエストロのコメント》
●1999年3月17日 記者会見にて
 新星日本交響楽団創立30周年記念チャリティ・ガラコンサート(1999年5月22日開催)
 「アジアのこどもたちへ未来を!」への出演に際して

●2000年2月29日 ル・モンド エレクトロニック版インタビュー抄録
 チョン・ミョンフン
 「オーケストラの存在理由(レゾン デートル)は社会に占めるその位置なので」

●2002年12月26日 「朝鮮日報」掲載インタビューより
 チョン・ミョンフン
 「本当の指揮は60歳から_」
●2003年5月15日(木)朝鮮日報コラム『マイ・ウェイ』より
 チョン・ミョンフン
 『与えられた分だけ、こどもたちの教育に捧げたい』
●2007年1月2日(火)韓国日報掲載 インタビュー
●2010年5月19日(水)韓国・京郷新聞掲載 記事

 

●韓国でマンガになった「チョン・ミョンフン物語」を一部ご紹介します。

信念と姿勢について
「私は政治家でも行政家でもなく、ただ音楽に夢中な音楽家であるだけ。音楽はそれ(政治、行政)よりずっと永い生命を持つものなのだ」
「音楽は第一に楽しくなければいけない。私は子供の時に『何が好き?』と尋ねられると、『ピアノとチョコレート』と答えたそうです。今なら『音楽と家族』と答えるでしょう」
「世界最高のオーケストラより、たとえ技術は劣っても、純粋に音楽を愛する心の豊かなオーケストラと仕事をする方が、僕には喜びが深い」
「クラシック音楽は、人の歴史とともに脈々と進歩をし続けた、まさにワールド・ミュージックと呼ぶにふさわしいものではないでしょうか」
「クラシック音楽は決して難しいものではないと思います。美しさのみならず、何より力を持っているし、お互いの理解を深めるのに助けとなるものなのです」
「私はいつも音楽からエネルギー、霊感を得ています。そして音楽こそもっとも強い力を持っていると信じています。だから、音楽それ自身に身を委ねるのです」

「僕がバスティーユを去った一番の理由は、芸術的な自由がまったくなくなったこと。そこに目をつぶってあのポストに居座ろうと思えば、可能でしたが…。みな政治と常にかかわり合いながら生きて行かねばなりませんが、大切なのは政治と芸術のバランスをどう取るか。政治は、どんなことがあろうと、音楽上の自由や選択を阻害してはなりません」

●指揮者というものについて
「指揮者というのは、とても危険な職業です。体力的には楽な仕事ですし、振り方などというものも、比較的簡単に覚えられるものです。しかし、指揮者の生活というのは、だんだんと大変になって行きます。それに比例して、『マエストロ、マエストロ』と多くの人にちやほやされて、音楽面以外ではいろいろと甘い誘惑も生じます。ジュリーニ、あるいは姉(ヴァイオリニストのチョン・キョンファ)の姿勢に接することによって、私は、それらに負けずにすんだのです。
 他の演奏者というものは、その楽譜が弾けるようになるまでの道程が大変なのに対して、指揮はまったく逆で、最初はあまりに簡単なのに、成長していくことが大変なのです。多くの人は、その過程の途中で、スタミナがなくなってしまうのです。ジュリーニのように、他の誘惑に囚われずに、スコアに戻って勉強を積み重ねていきたいと思っています」
「指揮者の資質に「公式」はありませんが、それがテクニックでないのは確かです。まずスコアをよく勉強し、室内楽を演奏し…後はオーケストラと実際にやってみて、どんな風になるかということ自体が大切でしょう」

●ジュリーニの影響について
マエストロに及ぼすジュリーニの影響にははかりしれないものがある。彼が指揮者として生きていく最終的な決断を下したのは師・ジュリーニの『君は指揮者だよ』という言葉があったからだといっても過言ではない。「彼から学んだことは、結局人はそれぞれに合った準備期間をかけなければ何事も成しえない、ということだったと思う」

●リハーサルについて
ザールブリュッケンの時代は駆け出しの若い指揮者の彼にとって最高のものを提供してくれた。
「ザールブリュッケンでの5年間は、若い指揮者にとっては理想的な環境でした。私は音楽的な責任だけを負えばよかったのです。初めてベートーヴェンの《第九》を指揮した際に18回のリハーサルを行なえたのです。ベルリン・フィルやニューヨーク・フィルでは、とてもこんなことは試せません。この5年の貴重な経験が、今生きているのです。ここでの5年と、その前のジュリーニのアシスタントをしていた3年間を、私は永遠に感謝するでしょう。この最高の8年間の経験が生かせないならば、私は馬鹿者です。私は、リハーサルを非常に厳格に行ないますが、本番では自由な解放感をもって演奏されねばならないと考えています。私は練習中には、限界まで彼らをプッシュします。そして、本番では、彼らを解放するのです」
「たぶん、私自身で本当に納得いくまで分かっている曲というのは、まだ少ないと思うのです。でも、実際の演奏の場において、その迷いはすべて捨てねばなりません。音楽的な自分の性格を考えてみますと、私は練習の段階では細部にもこだわる方です。しかし、本番においては、いわば架空の世界を作るとでも言うのでしょうか、迷いはいっさい見せてはいけません。その時、その時、自分はすべて分かっているつもりで演奏しなくてはならないのです」

●アジアフィルについて
「アジアにこそ未来の可能性がある」
「韓国の演奏家たちが、日本や他の国の演奏家たちの隣に仲間として座っているのを見て、同じ曲を演奏することを通じて分かりあえるという音楽本来の価値を強く感じました」
(第1回のコンサートの収益の一部を、ロシアのタンカーからの重油流出の被害対策のために寄附することを決めたことについて)「運営に大きなお金がかかるオーケストラの地位を認めてもらうためには、社会的な役割も果たしていく必要がある」
「このオーケストラは、音楽家というより、ひとりの人間としての共感から参加を決めた。アジアの国々の間に、まだ様々な緊張関係が存在する現在、アジアの複数の国の人間が一つのオーケストラで活動する意味は大きい。音楽はあらゆる障壁を越えて人と人を結びつけるパワーを持ち、サッカーと違って競争も摩擦もありませんから」
「世界最高のオーケストラより、たとえ技術は劣っても、純粋に音楽を愛する心の豊かなオーケストラと仕事をする方が、僕には喜びが深い」
「年を重ねるにつれ、次の世代のために何かをしたいという思いが強まる」
「アジアにこそ未来の可能性がある」
「韓国で生まれ、アメリカで音楽の勉強を本格的に始め、ヨーロッパではいま現在もそうですが、仕事を通じてキャリアを積んできました。そして生まれ故郷のアジアにかえり、有志たちで結成したオーケストラがアジア・フィルです。これまでの自分の人生を振り返った時、遡上するサケの回帰本能と同じように、“自然の流れ”を感じてしまうんです。サケは生まれた川に新しい命を託します。ぼくは、新しく誕生したアジア・フィルを通して、音楽的にも社会的にも常にインパクトを与える活動をめざしたい」

●日本での演奏活動について
「韓国と日本の微妙な関係が頭にあって、日本での仕事は何年も断わり続けてきた。ところが、いざ演奏してみると、聴衆との心の交流に韓国人も日本人もなかった。音楽という魔術の力をあれほど実感したことはない。今は演奏会ごとに恋愛をしているみたい」「実際に来てみると、来る度ごとに親近感が増し、友人も増えて、来日が楽しみになりました。そのようなことを可能にしてくれたのも音楽なのです」
「N響についてですが、もともと他の方々からN響はレベルが高いということを聞かされておりましたが、想像以上にレベルが高いことに、本当に驚きました。それから音楽を通じての団員の方々との人間的交流も素晴らしいものでした。このように考えてみると、新たな人々との交流、たった2週間という短い間なのにそういう交流を可能にしてくれる音楽は本当に素晴らしい、と思います」

●社会に対して
「(サンタ・チェチーリアの)楽員は、国家公務員ということに安住していてはいけない。たとえば、若者向けのコンサートを楽員みずから企画する。地震見舞いの演奏会を率先して開催する。要は、われわれが音楽家として社会的に何をなしうるかです」

●ローマでやりたいこと
「今宵は私たちの音楽をお聴かせしましょう、指揮者は私たちと一緒に仕事をいたします…というメンタリティーをもっているオーケストラが一つか二つあります。しかしそれはごく稀(まれ)で、たいていのオーケストラは指揮者がなにか生命を与えてくれるのを待っているだけですね。特にアジアのプレーヤーにはそういう傾向が強い。この状態が続くようだと将来は暗い。私はそういうオケを振ると、いつもフラストレーションを起こし、ステージと客席との間の孤島にいるような気分になるんです。それを解決するには、指揮者とオーケストラの間に、オープンな信頼関係が必要です。私はローマでそれを確立したい。最近のオケは、客演指揮者をたくさん招きたがるので、常任の指揮者がすべてを握ることは不可能だし、第一そんな完璧な指揮者などいませんが、私はなるべくこの楽団を指揮する回数を多くし、理想的な関係を築きたいのです」
「ローマでは2000年に新しい音楽専用ホールが3つも誕生します。イタリアにはたくさんのホールがありますが、コンサート専用ホールができるのは“ホール史上”初めてのことなんです。ぼくはここで宗教音楽に取り組むのをとても楽しみにしています。サンタ・チェチェーリアには優れた合唱団もありますし、やはり、宗教曲はクラシック音楽の源泉ですから」

●将来のプランについて
「20〜30年後にはハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン等、古典派の曲を重点的に演奏する演奏家になりたいと考えている。」
「アジアにこそ未来の可能性がある」
「プログラムを決めるのはけっこう苦手です。だから『2、3年後に何をやりたいか』なんて聞かれた時にも困るんですが…僕の心のうちでは、バッハなどクラシック音楽の源流にあたる部分が大好きなんです。実際に若い頃はストラヴィンスキーやショスタコーヴィチなどを取り上げることが多かったのですが、最近はベートーヴェン、ブラームス、ブルックナーなどに、より多くの時間をかけるようになりました。」

●マエストロのスタンダール症候群
(家族と共に過ごす時は自慢のイタリア料理の腕をふるう。特にパスタ料理にはちょっとした自信があるとか。一時イタリアに暮らしたのも、イタリアの食べ物が美味しいからだとは…。)
「食べ物がおいしいからと、住まいをイタリアに移した音楽家などいないでしょうね。料理はいろいろな点で指揮に似ていると思います。イタリアで外食した時は必ず厨房に押しかけて作り方を教えてもらいました。指揮も同じ。自分自身でスコアの勉強をしなければならないのはもちろんですが、他の指揮者の演奏もよく聴かなければ…。

●サンタチェチーリア管とフランス国立放送について
「 ローマ・サンタチェチーリア国立アカデミー管弦楽団は感情に訴えるすばらしいスピリットを持っています。対してフランス国立放送フィルハーモニー管弦楽団は規律正しいアプローチをします。前任者のマレク・ヤノフスキが長い間、よいトレーニングを積み重ねて来た結果でしょう。二つのオケに共通しているのは、楽団員が若くなってきていること。サンタチェチーリアでは昨シーズンに12人、来年はさらに10人が加わり、楽団の約4分の1が若い団員になります」

●現代作品の紹介について
「今の作品に挑戦することは、現代の演奏家一人一人に課せられた義務です。特にパリのオーケストラは現代作品に強いこだわりを持っています」

●宗教曲への取り組みについて
「ローマで宗教曲のプロジェクトに取り組んでいますがそれには二つの理由があります。バチカンの2000年の歴史はスタート時から音楽の流れそのものであるから。もうひとつ、クラシック音楽の源流のほとんどは教会音楽に関係があるからです。だから僕は5年前にパレストリーナの曲を指揮し、このプロジェクトを始めました」

●人間の内なる力を呼び覚ます「音楽」
「よく楽団員に『ヴェルディとベートーヴェンは、音楽の様式やサウンドはまったく異なるが、精神性には偉大な共通点がある』と話しています。ベートーヴェンやヴェルディは人間を、人間の内なる力を信頼していて、その内なる力に促され、これらの作品を書いた。ヴェルディの考えは『リベラ・メ(我を自由に)』という最後の二言に集約されています。ベートーヴェンもまた『フライハイト(自由)』を強調しています。すべての音楽…それはあらゆる地域の民族音楽を含めてのことですが…すべては自由、すなわち人間の内なる力を呼び覚ますためにあるのです」

●後進の指導
「若い頃は自分が学び、成長し、吸収しなければいけない。いわば常に受け身の立場です。しかし年齢を重ねて、今までもらってきたものをずっと抱え込んだままには出来ません。今度はそれを還元しなければなりません。…僕は今の年齢になって若い人達から『これはどうやるのか』と問われる立場になりましたが責任は重い。いま仮に著名なオケの最高のポストに就くのと、若い聴衆と音楽家を育てるのをとるか、どちらかを選ばなければならないとしたら、間違いなく後者を選ぶでしょう。 但し、若い人達の成長の手助けをするためには、まず自分自身が音楽家として最高のものを得なければならないので、結局は演奏活動を続けていく必要がある。だからこそ、すごく難しいんです。教えることに時間を割き過ぎると、今度は自分の演奏家としての時間がなくなり、僕自身が勉強できなくなる。」

●トーク&サイン会にて
 〈1998年9月6日(日)午後4時〜 タワーレコード渋谷店にて〉

:最近は宗教曲の録音に力を注いでいらっしゃるようですが、そのことについてお
聞かせください。

 
:今年の秋には"IN PARADISUM"というCDがリリースされます。これはソリストにチェチーリア・バルトリ(Ms.)とブリン・ターフェル(Br.)を得て、フォーレとデュルフレのレクイエムを録音したものです。また"Voices from Heaven(Hymn to the world 2=地球讃歌2)"も、同じくバルトリ、ターフェル、そしてサンタ・チェチーリア国立アカデミー管弦楽団と、合唱団で録音され、やはり秋にリリースされます。今回の録音を通じて感じたことは、短い時間でも音楽があれば友だちになれるということ、そして人の声というのは本当に素晴らしい、じかに人の心に訴えるものなのだ、ということです。
クラシック音楽は、人の歴史とともに脈々と進歩をし続けた、まさにワールド・ミュージックと呼ぶにふさわしいものではないでしょうか。その素晴らしい音楽を素晴らしいソリストとともに演奏できることに非常な喜びを感じるとともに、とても光栄に思います。

:"Voices from Heaven"ではアンドレア・ボチェーリと共演なさっていますが・・・。

:彼はポップスの世界の人ですが、最初はクラシック音楽の方を目指していたのです。ポップスの人がクラシック音楽に挑戦するのは良いことだと思うし、可能でしょうが、私としては、その逆については若干疑問を持っています。ボチェーリは音楽に対する熱意と愛情にあふれた、とても魅力あるすてきな人です。
それから、ボチェーリの歌う"I believe"という作品自体、本当に素晴らしく、あたたかさ、ゆたかさにあふれています。
私は音楽の力を強く信じています。昨年の8月、パリでヨハネ・パウロ2世を囲む若い人々のコンサートがありました。アリーナのような大きいところで演奏したので、ちょっとどうかな?と思いましたが、私自身ベストを尽くしました。そして、そこで感じたのはやはり音楽の力のすごさです。メシアンのようにむずかしいと思われる曲も、集中して聴いてくれました。本当にやったことに意味を感じました。クラシック音楽は決して難しいものではないと思います。美しさのみならず、何より力を持っているし、お互いの理解を深めるのに助けとなるものなのです。

:音楽をする上で一番大切なことは何でしょうか?

:プロとアマチュアでは違うと思うのですが・・・。
私自身のことを言えば、自分はとても幸せで恵まれていると思います。なぜならば家族全員が音楽が大好きで、言うなれば生まれる前からそのような環境にあって、ごく自然に音楽に親しめたし、音楽に対する強い愛情を育むことが出来たからです。まずは、どんどん聴くことが大切なのではないでしょうか。

:チョンさんのバイタリティ、躍動感の源は何ですか。


:私の演奏が聴く人にどのような効果をもたらすのかはよくわかりませんが・・・。私はいつも音楽からエネルギー、霊感を得ています。そして音楽こそもっとも強い力を持っていると信じています。だから、音楽それ自身に身を委ねるのです。私が日本で演奏をするようになって3年が経ちます。来る前は日本と韓国の間のかつての不幸な歴史のせいで、少々ナーバスになっていましたが、実際に来てみると、来る度ごとに親近感が増し、友人も増えて、来日が楽しみになりました。そのようなことを可能にしてくれたのも音楽なのです。

●トーク&サイン会にて
 〈1998年9月11日(金)午後7時〜 HMV渋谷店にて〉

:サン・サーンスの交響曲3番についておもしろい話があるようですが・・・。

 
:子豚が主人公の映画「ベイブ」をご存知ですか。実はとても好きな映画なんです。この映画の全編にサン・サーンスの交響曲3番の第2楽章(最終楽章)が流れているんです。エンターテイメント性にも優れている、とっても楽しい映画なんです。それで、サン・サーンスの3番を演奏するのがもっと好きになったというわけです。

:ローマ・サンタ・チェチーリア国立アカデミー管弦楽団とフォーレとデュルフレのレクイエムを録音し、近々リリースされる予定ですが、この音楽の素晴らしさについてお教えください。

:先日ローマで録音を終えたばかりのものがこのレクイエムです。私はこの録音のとき、すべての要素が完全にそろったときの素晴らしさを、味わうことが出来ました。合唱とオーケストラが精神的に豊かなものを持っていて、かつ、今、世界最高と言ってもいいソリスト二人(チェチーリア・バルトリ(Ms.)とブリン・ターフェル(Br.))を迎えられたからです。バルトリがフォーレのレクイエムのピエ・イエズを歌うのですが、あんなにも美しいピエ・イエズを未だかつて聴いたことがありませんし、みなさんもそう感じられるに違いありません。そして、こういったすばらしい演奏に加わることが出来たのを、本当に幸福だと思います。

:ボチェーリと共演なさっていますが、そのことについてお教えください。

:私は声楽家と一緒に仕事をするのが好きです。どの音楽家もそう考えるでしょうが、人間の声とともに音楽を作るということは、とても自然な形の音楽作りの一つであると思います。ボチェーリは純粋にクラシック専門の声楽家というわけではありませんが、クラシック音楽に対する愛情には並々ならぬものがありますし、彼は今後クラシックの曲やオペラの曲に積極的に取り組みたいという強い気持ちを持っています。それに、彼は人間的にも素晴らしい、魅力的な人なんです。私が気づいたことなのですが、優れた音楽家というのは音楽性が優れているのはもちろんのこと、それと同時に素晴らしい人間性を持っている方がとても多いと思います。

:N響についての印象をお聞かせください。

:N響の印象を語る前に話しておかなければならないことがあります。
私が日本に来るようになって3年が経ちますが、日本のどの方々もたいへんあたたかいということに感銘を受けました。プロフェッショナルとしての意識がきちっとしているとか、組織力があるということだけでなく、本当にどの方々もあたたかいのです。これは私が日本に来て初めて実感できたことです。今では日本に親しい方もたくさんいて、日本は私にとって近しい国となりました。
そしてN響についてですが、もともと他の方々からN響はレベルが高いということを聞かされておりましたが、想像以上にレベルが高いことに、本当に驚きました。それから音楽を通じての団員の方々との人間的交流も素晴らしいものでした。このように考えてみると、新たな人々との交流、たった2週間という短い間なのにそういう交流を可能にしてくれる音楽は本当に素晴らしい、と思います。

:ご家族のことをお聞かせください。
 
:時間がかかりますよ(笑)。多くの音楽家たちにとって共通していることだと思われますが、音楽家たちが最も愛する三つの要素、それは音楽、家族、食べ物です。順番をあえてつけるとすれば、家族ができるまでは1番が音楽、2番が家族、3番が食べ物でした。でも、自分の家族ができてからは1番が家族、2番が音楽、3番食べ物になりました。
みなさんが賛成してくださると思うのですが、子どもぐらい素敵なものはないと思います。他と比べてはいけないぐらいに素晴らしいものではないでしょうか。私には3人の息子がいます。実はここに来る道みち、N響の方やレコード会社の方と子どもについて話していたんです。レコード会社の方には10代の娘さんがいらっしゃって、大変むずかしい年頃だと聞きました。それで、あー、私は息子だけで良かった!娘が10代になった日にはいったい何をすればよいのだろう!戸惑うばかりだと思ったわけなんですが・・・。私の息子たちも、14、16、17才と10代なのですが、彼らには今自分の生活があり、友達がいるわけで、小さかった頃に比べると寂しい気もします。でも、彼らの成長を見ることは何にも増してたのしみであり、うれしいことです。今度は彼らの子どもを早く見てみたいな、と思います。

●トーク&サイン会にて
 〈2002年3月4日(月)HMV渋谷店にて〉

:レコーディングと生の演奏会の違いについてお聞かせ下さい。

たいていの音楽家はライブの方が好きです。録音においてもライブの良さを発揮できるように努力しています。録音の場合でも聴衆がいてくれたほうが助けになるし、いない場合でも聴衆がいることを想定して、なるべくライブに近い音を出そうとしています。

:今日は日本のオーケストラ、とくに東京フィルハーモニックについてお話ししたいのですが_。

エクセレント!ゆくゆくは一緒に録音したいですね。 オーケストラの水準からしてみてもレコーディングをするのは時間の問題だと思います。東フィルの指揮者(スペシャルアーティスティックアドバイザー)を引き受けたのは、東フィルが日本で一番古いオーケストラだし、一番可能性を秘めているからです。 この先、東フィルに育てて行ってほしいのは、正しい精神right spirit。曲を演奏する上で適した心構えといったものを育てて、ぜひ良いオーケストラになっていって欲しい。私は東フィルが大好きです。

:コンサートで楽員が身を乗り出して演奏していた姿が非常に印象的でした。

オーケストラのメンバーひとりひとりが、ソリストの気持ちでいてもらいたいのです。リハーサルの時は従っていただきたいけれど、本番では自分自身に従って演奏してもらいたいのです。

:ロンドンで色々なオーケストラのレコーディングセッションを見ました。楽員は自分の出番のない時はカーマガジンを読んだりしていたんですが_。

それもいいんです。自分の出番のない時はリラックスして、ここぞという時、力を発揮すれば良い演奏ができるでしょう。東フィルは働き過ぎですね。もっと自由な時間があって良いのでは(笑)。雑誌を読んでもいいですよ(場内爆笑)。

:今度、ベートーヴェンチクルスを指揮なさいますが、他のオーケストラでベートーヴェンチクルスを振ったことがありますか?

はい、一番最近では2年前にローマで。一挙に全曲をやるというのは集中が必要ですがこれを経験する方が良いのです。一晩に2、3の話題を語り合うのと、人生について語り合うのでは違いますが、そんな違いがあると思います。

:ベートーヴェンの交響曲、全体としての構成のようなものを考えていらっしゃいますか?

カルロ・マリア・ジュリーニが第9を演奏した時「暗闇から始まるんだ、そこから光が始まって生が生まれる」と、そういう風に教えてくれ、とても勉強になりました。日本で第9がたいへん人気がありますが、作品に途方もない広がりがあるので、それもうなずけるところです。

:日本では第9、演奏され過ぎじゃないでしょうか?

Brotherhood、同胞、人間を愛する気持ちがあればそういう気持ちにはならないのでは?もっとやった方が良いくらいですよ(笑)。

:2、4、6、8番は温かみがありおとなしいが、それに対して奇数の方が激しいのでは?

それは聞いたことがありませんね。ベートーヴェンのひとつひとつの曲の個性を大事にしたいと思っています。聴き手の側は、曲を何度も聴いて自分なりのその曲のイメージというものを把握すべきです。 若い演奏家や指揮者を指導する時に、ひとりひとり自分なりの受け止め方をしてほしい、というふうに伝えています。

:ベートーヴェンの音楽は「意志」を感じさせますね。

彼が人生でやりたかったこと、でもできなかったことがすべて音楽の中に盛り込まれています。ベートーヴェンは自由の闘士でした。自由を阻むあらゆることに対し闘っていました。第9に至って同じ人間を愛するという気持ちに到達したわけですが、そこには人生の伴侶を見つけたいという気持ちも含まれていたでしょう。自分の内なる感動を全部音楽に注ぎ込んだ、それがベートーヴェンです。ベートーヴェンの音楽を聴くとそれを感じることができます。良い演奏というのはその手助けにはなるわけですが、やはり何度も曲を聴いて自分なりにその曲のコンセプトというものをきちんと把握すればより良く理解できるようになるのです。

:東フィルはベートーベンチクルスを行なうに足るオーケストラですか?

ベートーヴェンだけでなく他のレパートリーでも立派に演奏することのできるオーケストラは東フィルのみならず、世界中にあると思います。大事なのはオーケストラのメンバーが一生懸命に練習をし、自分の受けて来た音楽教育に自信を持ち、自分なりのベートーヴェンを演奏に反映させることなのです。

:日本のオーケストラに関して、弦は一流だが管は少し劣るという意見がありますが_。

そうですね_。弦は多くの人が一緒に演奏するので、そこが日本のオーケストラにとっての強みとなっているのでしょう。合奏というのも大事なのですが、管の場合、ソロがあったりするので突出してできるというのも大事だし、またそれによって全体とのまとまりというのも生まれて来るのです。また、よく言われることなのですが日本だけでなくアジアのオーケストラは感情の部分が欠けている、と。ある程度それは当っていると思います。一緒に演奏する中で自分自身をひけらかすようなことはない「習慣」と言えるかも知れません。しかしながら、何度も日本を訪れて日本のオーケストラを振る過程で、日本人ひとりひとりにも強烈なエネルギー、エモーションが存在しているということがわかってきました。富士山のようにそのうち爆発するのでは(笑)?リハーサルにおいても深く掘り下げて楽員のエモーションを引き出すということに努力しています。東フィルは「前進しよう」という意欲が非常に強いと思いますので、今回のベートーヴェンチクルスに期待しているのです。

《マエストロのコメント》
●1999年3月17日 記者会見にて
 5月22日(土)
 新星日本交響楽団創立30周年記念チャリティ・ガラコンサート
 「アジアのこどもたちへ未来を!」
“今回のチャリティ・コンサート出演理由について”

「今日、世界ではさまざまな社会的な問題が起きています。それらの問題解決に参加したり、社会的に援助したりすることは音楽家にとって重要なことだと思います。また、その面において世界のリーダー的存在になっている日本で、このようなコンサートを指揮できることは、とても意義深いと考えています。」

“こどものための音楽コンサートを開催する意義について”

「私のこれからの音楽活動において、若い人たちにクラシック音楽のすばらしさを知ってもらうことは、非常に重要な仕事のひとつだと考えています。残念ながら多くの若い人たちは、クラシック音楽はむずかしいとか、自分とはあまり関係ないものだと考えています。私は彼らがこちらに近づいてくるのを待つのではなく、音楽家として、彼らにとってクラシック音楽がもっと身近になるようにベストを尽くしたい。日本に限らず、韓国、ヨーロッパ、どこで演奏しても、このように考えていると、私は音楽をつづける勇気がわいてくるのです。
現在、クラシック音楽は世界中の人々に受け入れられていると信じています。また
、たんにクラシック音楽が最も美しいというだけではなく、少なくとも千年もの間、絶え間なく発展し続け、人類の歴史とともにその歩みを確かなものにしてきた、唯一の音楽だと認識しています。ですから、音楽の次の重要な展開が日本や韓国、中国などのアジアの若者によってなされるとすれば、私は本当に幸せです。実際それはもうすでに始まっています。そのためにもクラシック音楽をより多くの未来の世代に伝えていくことは、とても大切なことだと考えているのです。
私はいつも音楽を「自分の音楽として」演奏することが大切だと思っています。私た
ちは、音楽を「われわれの音楽」として演奏しなければならないのです。そして、も
うそれは、アジアでも現実となっています。日本ではものごとが非常に速い速度で変化し、うっかりすると手の届かないところまで行ってしまうかもしれない。それゆえ、われわれは「普遍の音楽」がより重要な意味を持つようになる次世紀に向けていまから準備をしていかなければならないのです。」

《マエストロのコメント》
●ル・モンド エレクトロニック版 2000年2月29日
   チョン・ミョンフン
 「オーケストラの存在理由は社会に占めるその位置なのです」
“5月1日にフランス国立放送フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督に就任されますね。バスティーユオペラの後、またパリに戻って来られてうれしいでしょうか?”

「私は1度もパリを去ったことはありません。フランスでの生活を続けていました。バスティーユ・オペラを去った時、残念に思ったことは楽団員たちが自分たちのオーケストラの生活と本当に一体になることを手助けできなくなったことです。奇妙に思えることですが、世界各地の音楽家たちは奴隷状態なのです。いくつもの仕事を果たすことを要求され、どんな指揮者も受け入れなければなりません。持っている権利といえばストをすることだけなのです。」

“フランス放送フィルハーモニー管弦楽団はどうでしょう?”

「16年間、マレク・ヤノフスキと仕事をして、楽団員たちは、規律、うまくやろうという意志、自己批判といったことを体得しました。こうした現状はパリでは唯一のものと言えます。オーケストラは改善されるか悪化するかで、同じ状態に留まっていることは決してありません。放送フィルハーモニーは昇り坂にあり、さらなる向上のためには楽団員は私と対面しているべきではなく、私の脇や、必要とあらば私の前にいるべきだと考えます。彼らに求めるものは、学校、青少年層、大学、教育などのために全力で打ち込むことです。オーケストラの存在理由は社会の中で自分たちの場を見い出すことでもあります。」

““優れた”オーケストラと“卓越した”オーケストラという違いがあるのでしょうか?”

「かなり不可思議なことなのですが、その違いというのは存在します。私の知る限り、世界におよそ100の優れたオーケストラがあり、そのうちの約50がアメリカにあります。オーケストラを指揮する指揮者よりも多いのです。しかし卓越したオーケストラというのは2つしかありません。ベルリンフィルとウィーンフィルです。そのどちらかのコンサートを聴くと、楽団員たちは自分たちの指揮者をその晩の招待者のように聴衆に紹介している印象を受けます。時は過ぎても創立精神は残るのですね。」


“では客演指揮者と音楽監督とでは?”

「客演指揮者は、コンサートの質を、ときに些細なことを犠牲にしても重視する必要があります。音楽監督はリハーサルのことを考え、コンサートを副次的なものにさせることのできる人でなければなりません。」


“就任されたのはどのような使命からでしょうか?”

「オーケストラを私が見い出した状態よりもさらに良い状態にするということです。これは容易ではないでしょう。音楽監督は政治家のように作り上げる力と破壊する力を持っています。私は生来ペシミスト(悲観論者)なのですが、ただ、一度何かを決意すると簡単には断念しません。これが私のところに届く招待のほとんどすべてを辞退する理由です。エージェントにとっては理解しにくいことでしょうし、断わるのに時間をとるのは当然のことですが、でも私は正しいと思っています。」

取材:アラン・ロンペック
(翻訳:大出 學)

《マエストロのコメント》
●2002年12月26日付「朝鮮日報」掲載インタビュー
「本当の指揮は60歳から_」
ゆく年インタビュー ローマ新コンサートホールこけら落とし公演
指揮 チョン・ミョンフン
去る21日夜、ローマ「パコ・デッラ・ムジカ」アートセンター内「サンタチェチーリア」コンサートホール。チョン・ミョンフンの指揮するローマ・サンタチェチーリア国立アカデミー管弦楽団と、ピアニスト・マウリツィオ・ポリーニがベートーヴェン「コーラルファンタジー(合唱幻想曲)」を協演した。ストラヴィンスキー「春の祭典」とイタリアの3人の作曲家の初演のあったこの日、演奏会場にはカルロ・アジェグリオ・チアンピイタリア大統領、ローマ市長、大勢のイタリア文化芸術界人士が顔を見せた。ムッソリーニが地下に埋蔵された金塊、宝物を発掘するとしてローマの由緒正しいコンサートホールを破壊して以来、実に68年ぶりに完成したコンサートホールのこけら落としという「記念碑的」演奏会であった。 チョン・ミョンフンは来る2003年にいかなる抱負を抱いているであろう。「パコ・デッラ・ムジカ」アートセンターで、チョン氏に聞いた。

“新ホール開館の意義をどのようなものでしょう?”

「イタリアはオペラが産声を上げた地だけあり、オペラの伝統は強いのです。その分、相対的に見てシンフォニーオーケストラの伝統は弱いと思います。それだけに今回のホールの開館を、イタリア文化芸術界は国家的慶事とみています。このホールは私が音楽監督をしているサンタチェチーリア国立アカデミー管弦楽団の新しいホーム・グラウンドともなります。ローマは韓国の慶州のように、掘り起こせば古代の遺物が出てくるという土地なので、新しい建物をむやみに建てられません。そのために建設に多くの年月を費やしました」

“今年も暮れようとしています。音楽をなさりながらやりがいを感じることとは?”

「自分がやりたいと願い、いつどんな時も、好きだからしている、それが私にとっての音楽です。それと同時にひとを幸せにしてあげることができる仕事だという点に、やりがいを感じます。音楽を通じ、人びとが結束し平和を実現することができればそれに優るものはないと思います」

“韓国のクラシック音楽界にとっての課題は何でしょうか?”

「(一部略)私はカルロス・クライバーの『ラ・ボエーム』のリハーサルをフランスで見るためにスケジュールを一ヶ月間空けたことがあります。そしてかの地に行きましたが突然リハーサルが中止になってしまったのです。1ヶ月間がフイになってしまったわけです。それはともかく、指揮というのは劇場で巨匠の姿を見て学ぶことが大きな力となります。情熱を持った後輩たちがたくさん出て来てくれることを願っています」

“新年の抱負は何でしょうか?”

「イタリアとフランスでちょうど10年を過ごし、現在はフランス国立放送フィルハーモニー管弦楽団、ローマ・サンタチェチーリア国立アカデミー管弦楽団、東京フィルハーモニー交響楽団を指揮していますが、私の指揮者人生の出発はドイツ(ザールブリュッケン)でした。来年(2003年)から、ドレスデンオペラ劇場で「ドン・カルロ」「パルジファル」「タンホイザー」等のオペラが始まります。ワーグナーやシュトラウスはもちろんのこと、ハイドン、バッハをまた勉強し直すことになります」


“指揮者としての長期的な展望をお聞かせください。”
「指揮は60才からだと思っています。今はもっと勉強しなければならないし、レパートリーを増やさなければいけないと思いますので、あれこれやっていますが、歳をとってからは指揮の回数が減るとしても、良い演奏を目指すべきだと思います」

●2003年5月15日(木)朝鮮日報コラム『マイ・ウェイ』より
『与えられた分だけ、こどもたちの教育に捧げたい』

最近一部で「ローマ・サンタチェチーリアオーケストラ音楽監督を辞任した」と伝えられました。しかし、これは正確ではありません。「辞任」ではなく、任期終了後の延長再契約をしないということです。私のローマ・サンタチェチーリア国立アカデミー管弦楽団音楽監督としての任期は2005年までであり、それ以後、契約を延長する意志がないことをオーケストラ側に伝えたものです。前もって伝えておけば後任を決められますので(後任はアントニオ・パッパーノに決定している)。このような私の決定はどのようなオーケストラとどのような音楽活動をするべきか、指揮者として避けることのできない熟考と遠慮の結果です。

何年か前から、色々なオーケストラから音楽監督(常任)のオファーを受けています。しかし音楽監督というのは、決して避けて通ることのできない行政、財務、政治的な業務量により音楽活動に相当な支障を被るわけでありますから、音楽人としての責任遂行と発展のためには、新たな職責を持つ前に、まず現在の立場を整理することから始めなければならないと思ったのです。そして、ドイツに始まり、イタリア、フランスで20余年間を学び、活動し、指揮者としてはようやくよちよち歩きを始めたに過ぎない私としては、音楽的な発展のために、これからはドイツでより多くの指揮活動をしなければならないと考えているからでもあります。しかし生涯の半分をイタリアで過ごしているだけにイタリアを愛していますし、イタリアの多くの音楽人と音楽的に深いきずなを持っているので、これからもサンタチェチーリアとは近い関係を保っていくつもりです。

この世に生まれてから、いえ、生まれる前から、音楽とともにあったと思います。誰に強制されたわけでもなく、また、何か特殊な目的や必要に応じて義務的に音楽を学んだわけでもなかったためか、音楽はごく自然に私の人生の最も重要な部分の一つとなりました。

釜山で生まれ、9才の時にシアトルに渡りました。幼い頃はいたずら坊主でした。中学生の頃は運動という運動はほとんど好きで、一時はプロのアメリカンフットボールの選手になりたいという夢を持ったこともありました。4才から始めたピアノを一番怠けていたのもこのときだったと記憶していますが、一方ではこの時期に集中的に受けた、私のピアノの師ジェイコブスン夫人の愛情のこもった教えによって、ピアノの技巧的な面よりも芸術的な面を学ぶことのできた大切な時期でもありました。

私は小さな頃から今日まで、すばらしい先生方の指導を受けて来ました。それが私が音楽人として現在の位置にいることのできるもっとも重要な要因だと思います。その意味で私が今、一番関心を持って推し進めているのが子どもの教育に関連した様々な計画です。音楽の美しさ、価値、奥深さを自分で見つけられるように基礎を正しく教え、方向と視野を指し示してくれた先生方を思うたび、教育の重要性、必要性を切実に感じることができるからです。

私が教育と訓練の過程を終え、指揮者として本格的な活動の舞台に立ったのはバスティーユの頃だと思います。貴重な経験でした。私がより成熟した音楽人に成長できた決定的な期間だったし、世界のトップレベルで活動する指揮者には音楽以外の要件も実に大切であるということを学びもしました。政治的な理由でバスティーユを去る、その辛い時期に私に送って下さった韓国の皆さんと、マスコミの励ましは言葉では言い表すことのできない大切なものでした。

さて、50代に入った今、指揮者としてもっと多くを学ばなければならないと考えています。もっと伸びて行けるのはこれからだと思います。ピアニストを経て指揮者の道に入り、そして今まで指揮者として歩んで来た道程を振り返りながら、母を始め、あまりにも多くの方々の愛情、援助、そして指導を受けて来たことを感じます。常にその方々と神様が下さった祝福に感謝しています。

ステージに上がる前には必ず祈ります。一回の演奏を終えてしまうと、その演奏のことは頭から消えてしまいます。そうして、その次の演奏をどのように準備し、勉強するべきか考えるのです。音楽の道を歩みながら、もっとも大切に考える価値は謙遜=humilityです。メシアンのような方が目標と言えます。

今までがそうであったように、これからも私が歩むべき道は、もっと素晴らしい音楽をつくることができるよう、たゆまぬ努力を続けて行く道であり、この間に得た経験、知識、技術がより意義ある私たち全員の将来の助けとなるよう、音楽界の皆さんと力を合わせて努力して行く、その道であります。音楽こそが私の生きる道なのです。

●2007年1月2日(火)韓国日報掲載 インタビュー
 

ソウル市響芸術監督兼常任指揮者チョン・ミョンフンの2006年は輝かしいものであった。

「チョン・ミョンフンの力」によってソウル市響のコンサートには15万人の聴衆が集まり、その収入は23億ウォンであった。オーディションを行うことによりオーケストラの体質を改善し、地方公演を通じて大衆に近づいた結果だった。

チョン・ミョンフンの2007年はスタートからたいへんなものだ。1月3日のニューイヤーコンサートを皮切りに、9日にはソウル市響の新しいプロジェクト「ブラームス・スペシャル」の第1回公演、13日にはミア洞・江北第一教会での公演が行われる。昨年末12月28日夜、ソンナムアートセンターでのコンサートの直前、楽屋にてチョン氏にお目にかかった。非常にタイトなスケジュールのせいでひどい風邪をひいてしまい、リンゲル注射を打ったばかりという状態でのインタビューだったが、こと音楽に関しては、情熱的に語ってくれた。

−昨年最も記憶に残る出来事と演奏会は?

「ソウル市響とのベートーヴェンチクルスを無事に終えたこと。みんな一生懸命やってくれたので満足している。記憶に残る演奏会というのはない。われわれがなすべきこととはコンサートの行われるその現場で音楽に命を与えることで、それは聴衆の前だけで完結するもの。だから、私は録音もあまり好きではない。ただ、つねに『もう少しうまくできたはずなのに』という悔しさ、『どうしたらもっとうまくできるだろうか』という悩みがつきまとう。

−昨年10月、平壌でのユン・イサン音楽フェスティバルで指揮するはずだったが。

「出発直前、核実験の事実が明るみになり訪北がキャンセルになった。音楽と政治は別物だから行かなければ、という意見もあったが、音楽というのは互いに助け合ったり、祝ったりするためのものだから、そんな状況では行けないと思った。しかしながら、ずっと考えてきたことだし、これからもチャンスはあると思う。ベートーヴェンの第9交響曲『合唱つき』は皆、兄弟となりたがいに愛し合おうという内容。われわれが行くか、あちらが来るか、いずれにせよいつかは『合唱』を一緒に演奏したい」

−ソウル市響を最初に振った時と最近を比べてどうか。

「2005年に比べると少なくとも倍は成長したと思う。本当におどろくべき発展。50年間できなかったことを1年あまりの間になしとげてしまった。以前は韓国のオーケストラが一聴に値するものだとは耳にしたことがなかった。もちろん世界水準にはまだまだだけれど。これから伸びてゆくためには、これまで以上に大変だと思う。上に行くほどに伸び悩むのが常だから。忍耐をもってこつこつとやっていかなければ」

−就任当初からの主張だった専用ホールの問題が未解決だが。

「上を目指すオーケストラに専用コンサートホールは必須。ノドゥル島アートセンターの建設が遅れているので、ソウル市に対し、新市庁舎の中にコンサートホールを作ってほしいという提案をしたところだ。現状ではそれがもっとも良い方法だと思う。それすらだめなら、世宗文化会館の音響設備を改善する他ない。政治的な問題を理解しないわけではないが、(人が変わっても)仕事はきちんと引き継いでやってもらいたいと思っている。

−今年の「ブラームススペシャル」にキム・ソヌ(ピアノ)、キム・スビン(バイオリン)ら、若い演奏家を選んだ。

「私の仕事の一つに音楽を学ぶ人を手伝う、というものがある。もちろんすべての人というわけにはいかない。教師ならばすべての学生を教えるのだろうが、私ができるとすればソリストや若い指揮者の中でも特に才能のある人を手助けすることだろう。パリ・オペラ座バスティーユのときも1000人以上の声楽家のオーディションをしたが、その中でオーディションに受かり舞台に立ったのは10人になるだろうか、こういうことは時間がかかるものだ。しかしながら、オーディションを受けたいのならいつでも、誰でも見る用意がある」

−キム・ソヌは小学生の時、オークションに出たチョン・ミョンフンの指揮棒を落札するため、学校をさぼったことがあるとか。

「キム・ソヌがリーズコンクールで1位をとった後、何回か会った。演奏が素晴らしいのはもちろん、すべての面で18才とは思えない。私の場合、18才当時はあまりピアノの練習はしていなくて、たくさん遊んで楽しい時期を過ごしたものだ。しかし、あの時の経験が指揮をする上で役立っていると思う」

−チョン・ミョンフンが指揮する時とそうでない時、観客数と演奏水準の差が大きいという現象に対して憂慮する声があるが。

「問題だと見る人びとに対してどうこう言うことはできない。ただ、明らかなのは私がもっと振らなければならないということだ。今も努力はしているが、指揮の回数をもっと増やさなければ。(※2006年ソウル市響演奏会100回中27回指揮している)できる限り最大限の努力はするつもりだし、団員も私からできうる限り学び取ってほしい。一緒に仕事をしながら少しでも良い方向に向かうのなら満足だ。そうでなければ契約中途でもやめるしかない。契約は2008年までだが、その前にやめたり、もっと長く続けたり、どちらの可能性もある。いずれにせよ韓国のオーケストラのために始めたことなのだから」

−いつも指揮よりもピアノがいいというようなことをおっしゃっているが、2007年にはソウル市響とピアノで協演する予定とか。

「楽器を弾いている方が自然だ。指揮者は舞台の上で唯一音を出さないのだが、音を出すパートよりもはるかに複雑なことをしている。100人あまりをコントロールしなければならないし、彼ら1人ひとりの問題を解決しなければならない。そして全体の計画も立てなければならない。実のところ、こうしたことは私の性格には合わない。いや、合わないというより、むしろ嫌っていると言っても良い。指揮者の中で私ほど『倣う』のがじょうずな人もめずらいいのでは?」

−倣う、とは?

「私はキム・ソヌのような人たちとは違って、幼い頃から『指揮者になりたい』という夢や計画がなかった。周りから『指揮をやってみれば』とすすめられてその通りにした。音楽を始めたのもそんな調子だった。7人兄弟の6番目に生まれ、姉たちがすでに音楽をやっていたのを見て、それに倣った。初めての音楽的経験と言えば姉たちの伴奏だった。それで、ヴァイオリン、チェロの伴奏は大得意だ。オーケストラもリハーサルの時間が何より大事。私はただオーケストラについていくだけだと思っている」

−プライベートな時間は?

「韓国、イタリア、フランスを行ったり来たりして過ごしているが、韓国での時間が長くなって来ている。3人いる息子のうち、2人は学校を終えて末息子がいま大学生。友人らが『子どもたちが大きくなったらどうする?』『あなたは子どもが手から離れてしまえば自殺してしまう』などと言うほど、子どもたちと過ごすのが好きだった。フランスで予定より長く暮らしたのも子どもたちの学校が良かったから。ところが、いざ離れてみると、時折会うというのも良いものだと思う。妻と過ごす時間も増え2度めのハネムーンのようだ。息子たちの将来の伴侶を含めた8人のための食卓という料理の本を以前出したが、もう7つの席が埋まった。長男、次男がいつの間にか相手を見つけて来た」

−60才になったら指揮をやめる?

「人生には3つの段階がある。最初が勉強をして成長する時期だとすると2番目は家族を持ち子どもを育ててキャリアを積む段階だ。60才以降が最後の段階ということになるが、職業としてのキャリアを積むのをやめるということで、音楽をやめるということではない。自分がもらったものを返して行かなければいけないと思うが、時間があまりに足りない。音楽家は人々に音楽の美しさを伝えるメッセンジャーの役割を果たすべきだと思う。軽いノリで楽しくとか、そういうものじゃない。最近ではいろいろなものを混ぜたりしているが、私のルールでは一つの音も変えてはならない。最大の努力をしなくてはならないのだ」

●韓国でマンガになった「チョン・ミョンフン物語」を一部ご紹介します。

韓国の少年少女向け雑誌「センガッチェンイ(考える人)」に、「チョン・ミョンフン物語」というマンガが掲載されました。その一部をご紹介します。

マンガはチョン氏の御母堂である李元淑さんが書かれた本、「世界がお前たちの舞台だ」の中のエピソードを中心に構成されています。この本にはチョン・ミョンフンのみならずチョン・キョンファ(ヴァイオリン)、チョン・ミョンファ(チェロ)という世界的な音楽家を育てた一人の母親の信念、努力、そしてチョン家全員の勇敢で前向きで真摯な生き方が書かれており、読み終わった後には不可能と思えることにチャレンジする勇気や元気が湧いてくる一冊です。中央公論社から出ています。興味のある方はぜひ読んでみてください!

《マンガの内容》
ミョンフン少年は「チョコレートとピアノが大好き!」な子どもでした。ご飯をたべるのもそこそこにピアノに向かうミョンフンは、学校の国語の時間に本を読む時も必ず節をつけるほど音楽が大好き。「1曲弾きおわるごとに『正』の字をノートに書いていきなさい」とピアノの先生が言うと、ノートは数えきれないほどの『正』の字で、あっという間にうめられてしまったのです。出張レッスンだったので、先生が自宅に到着した頃を見計らって電話をかけ上達具合を聴かせるほどに、ミョンフンはピアノに熱中しました。こうして5歳からピアノを弾きはじめたミョンフンは、7歳の時にソウル市響とハイドンのコンチェルトで協演しました。
1961年に、チョン一家はアメリカのシアトルに移住しました。そこで彼はマダム・ジェイコブソンと運命的な出会いをしたのです。・・・



●2010年5月19日 韓国・京郷新聞 文學洙記者
「29日からヨーロッパツアー ソウルフィル指揮者 チョン・ミョンフン」
「準備は整った…ヨーロッパの舞台でも堂々と」
「5年間の道のりは苦しかったが、これも、色彩のあるオーケストラをつくる過程」
リハーサルを終えて芸術監督室に入ってきたチョンの表情は明るかった。18日午後、ソウルフィル芸術監督チョン・ミョンフンは、時には疲労感をにじませるときもあるが、この日は、まったくそのようなことはなかった。生き生きとした目をして彼は言った。「5年間、準備してきました。ヨーロッパでも立派に通用する演奏をする自信がありますよ」

チョン・ミョンフンとソウルフィルがいよいよヨーロッパツアーに出かける。5月29日から6月11日までイタリア、ドイツ、チェコ、ロシアの4カ国9都市で行われるツアーである。もちろん、これまでにソウルフィルが海外での演奏会を持つ機会がまったくなかたわけではない。チョン・ミョンフンが芸術監督に就任するよりもずっと前、1988年にソウルオリンピックの広報のためにヨーロッパツアーを行ったことがあり、3年前にはニューヨーク国連本部の総会において「外交使節」として演奏したこともある。しかし、今回はそれらとは違う。海外有数の音楽祭より正式に招待されてのツアーである。韓国オーケストラ史上初の出来事だ。

「去年、ベルギー・ブリュッセルで開かれたクララ音楽フェスティバルで1度演奏する機会がありました。かなり好評だったので、それが今回のツアーのきっかけになったのです。海外の演奏会を無理やりにでも作ることはできるでしょう。だとしても、それに何の意味があるでしょう?何年か前に国連で演奏したこともありましたが、そのとき、アメリカでもう何度かの演奏会をしようとすればできたでしょうね。でも、しませんでした。準備が不十分な状態では、やらない方がいい。無駄に恥をかくだけですよ。でも、いよいよ準備が整いました。少なくともヨーロッパの舞台に上げるだけの水準にはなった、ということです」

チョンは今回のツアーがソウルフィルの団員にとって、学びと刺激の場になるだろうとも付け加えた。アメリカで指揮者としての第1歩を踏み出した自分自身が、82年にヨーロッパに移ったのも、もっと学ぶためだったと語った。「音楽は経験や環境が重要なので、本場のヨーロッパに行った」ということだ。そして、ビールとワインになぞらえ、ドイツとフランスの音楽の違いを説明してくれた。

「ドイツとフランスの音楽がはっきりと違うのは、まさに、その経験と環境の差から来るのです。ビールは厚くて重いグラスになみなみとついで飲むでしょう?ドイツの音楽はそういった文化からうまれたものです。反面、フランスの音楽には微妙な香りのようなものがあります。よく味わいながら飲むワインに似ています」

「世界的オーケストラ」への第1歩とし、5年前にソウルフィル芸術監督に就任したチョン・ミョンフン。6月1日がちょうど「チョン・ミョンフン率いるソウルフィル」が公式に出帆して5年目を迎える日である。チョンは現在のソウルフィルを「アジア最上級」と評した。「最高」とせず、「最上級」と表現したのはおそらく、日本を代表するオーケストラ「NHK交響楽団」を意識した発言ではなかろうか?

チョンは「カラーのあるオーケストラになることが重要」としつつ、このように語る。

「オーケストラには個性がなければならないのです。世界の音楽界においても、明確に自分のカラーを持ったオーケストラというのは多くはありません。われわれもこのような脈絡で、ソウルフィルのカラーを世界に浸透させねばならないのです。心を開いて話し合うというような、あたたかくて自然な音楽です。私たちはどちらかというとイタリアに似ていると思います。私がこれからソウルフィルに望むことは、楽しみながら演奏する音楽、堅苦しくなく、余裕のあるサウンド、といったものです」

チョンは、スカラフィルハーモニックと格別に良い関係である。本人もしばしば客演をするこのオーケストラを「友人」と呼んで、特別な愛情を披瀝する。チョンがこのオーケストラを率いて韓国の舞台に立ったのは2年前だ。そのとき聴かせてくれたサウンドを比喩的に表現するならば「上手に料理された、身の厚い魚料理」という感じだった。もちろん、スタンディングオベーションで絶賛された。韓国の聴衆はあのように、豊かで温かい音楽に心惹かれるようだ。

チョンは以前と変わらず、ヨーロッパ名門オーケストラを指揮している。「何日か前にもオランダのアムステルダム・コンセルトヘボウを指揮してから、韓国に帰って来た」という。ACOという略称で呼ばれるこのオケは、いま、ベルリンフィルより高い評価を得ることがしばしばである。常任指揮者はロシア出身の巨匠、マリス・ヤンソンス。「ACO団員とのリハーサルは常に自然体で、とても心地よいのです。彼らは音楽を心で演奏します。彼らに何か気の利いたことを言ってあげたいと思い、『君たちはみなgood musicianだね』と言ったんですね。それはただ単に実力があるという意味ではないのです」

チョンはインタビューの終わりに「正直、これまでの5年間は苦しかった」としながら「私だけではなく団員も苦しかったと思う」と言った。5年間休みなく続けられた団員オーディションに関する話だった。

「団員を毎年少しずつ変えながら今日まで来たので、お互いどれだけ苦しかったか…。ただ、少し前からだいぶメンバーチェンジは減ってきました。2年後には安定するでしょう。そうすれば(団員の交代に対する)心配なくひとつの家族として動けると思います。芸術家には生涯の保障というのはなく、毎日の演奏がオーディションなのです。そこを乗り越えていかなければ、招かれざる演奏家になってしまいます」

そこで、記者は、オーケストラを始めとする海外の芸術団体は1〜2年の試用機関が終わると、定年まで継続できるのでは?と聞かざるを得なかった。すると、チョンは「100年以上、もしくは200年程度の歴史を経てそういうシステムが出来上がったのです」と答え、「すでに高い水準にある状態において可能なシステム」と付け加えた。

ソウルフィルはツアーを目前に控えた20日、ヨーロッパでの演目を演奏する「プレビューコンサート」をソウル・アーツ・センターで披露する。メシアン「忘れられた捧げもの」、チン・ウンスク「ヴァイオリン協奏曲」、ラヴェル「マ・メール・ロア組曲」、「ラ・ヴァルス」等、彩り豊かなプログラムである。

 

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